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1997/11/12 第11回

1997/11/12 第11回

中内 功氏 : (ダイエー会長)
「これからのビジネスマンに望むこと」

 

中内 功氏 : (ダイエー会長)

1922年生まれ。株式会社ダイエー代表取締役会長 兼 社長。大阪市出身。1941年、神戸高等商業学校(現、神戸商科大学)卒業。
1951 年、サカエ薬品工業株式会社設立。1957年、大栄薬品工業株式会社(現、株式会社ダイエー)設立。1967年、日本チェーンストア協会会長(~1976 年)。1982年、経済団体連合会常任理事。1984年、臨時教育審議会委員(~1987年)。1988年、学校法人中内学園(流通科学大学)理事長・学 園長。国民生活審議会委員(~1997年)。1990年、経済団体連合会副会長(~1995年)。1994年、行政改革推進本部専門委員。1997年、日 本チェーンストア協会副会長。

想像と創造-本気で遊んでる?―
三内丸山遺跡の「六本柱」は、広告塔ではないか

 先日、私は、青森県の三内丸山遺跡を見に行ってきました。梅棹忠夫先生のお弟子さんで国立民族学博物館の小山先生と一緒でした。青森県教育庁・三 内丸山遺跡対策室の岡田先生が三内丸山遺跡のいろいろな調査をされていることもあって行こうということになったわけです。  ご存じのように、あそこの入口付近には6本の大きな栗の木でつくった巨大な建造物が復元されており、それがシンボルになっています。その六本柱について いろいろ議論がありますので、それを見つめてみようと出かけました。  シンボルというのは何かのイメージのためにつくったわけです。高さが14.7メートルの栗の柱が6本あるけれども、そういうものは今はもう青森県にない わけで、ロシアから6本輸入したそうです。今から5千年から1万年前の縄文時代には、青森にそういう大きな栗の木があったのでしょうね。  栗の木を切って、6本の柱をどういうふうに縄文人がつくったのか。また、その6本の柱をなぜつくったのか。いろいろな考え方があるということです。鳥に なって上から見てみたら、シンボルというのは、今と違っているかも知れません。  その当時は、海はもっと大きくて、三内丸山遺跡の近くまで海になっていたはずだということです。そうなると、今の日本列島は、歩いて、各地を移動するよ りは、船で動いたほうが移動しやすかったのではなかろうかと思います。  梅棹忠夫先生は、三内丸山遺跡の六本柱は、出雲大社と同じような神殿ではなかろうかと言われています。縄文時代、日本には30万くらいの人が住んでいた と言われますが、そのなかで500人くらいの集落というのは、かなり大きなものです。私は、その街の一つのシンボルとして、六本柱の広告塔をつくったので はないかという素人ならではの大胆な仮説を立てています。  遠くからその塔がよく見えて、船に乗ってくる人も三内丸山へ行けば何か面白いことがあるとか、何か発見があるだろうと考えて、来たのではないか。その証 拠に、三内丸山には翡翠の加工基地があったそうです。日本海の糸魚川のほうから翡翠を運んできて、そこで加工していた。三内丸山は翡翠商人の翡翠商人の街 でもあったわけで、遠くから人を集めるための「CMタワー」としてシンボルをつくったのではないかと推察しています。  非常に大きな六本の柱を立て、シンボルをつくること自体が、そこに街をつくろうとする意志の現れと考えているわけです。行かれた人は見られたと思いま す。あれを上からバードアイ(鳥の目)で見れば、広告塔ということが分かると思います。  何とでも想像はできるのですが、シンボルであったことは間違いないでしょう。いろいろな交易をする場合の、一つの広告塔です。六本柱に「ネオンサインで もつけたらどうか」と言ったら青森の人たちもびっくりしていました。しかし、いろいろな可能性を考えてみる必要があるのではないでしょうか。縄文時代とい うのは、正確なことは誰にも分からないわけですから、想像力を働かせて非常に無責任なことも言えるということです。

古代人にも現代人にも知恵と情報の遊園地が必要

 そのほか、地上には、大型の竪穴住居が復元されていました。その当時の公会堂みたいなもので、その中で地べたに藁を敷いて座り、ワイワイ、ガヤガ ヤと雑談を20分ほどしました。  私と小山先生と岡田先生との3人で座って、縄文の人々は焚き火をして、ここへ座って何を考えたのだろうかと話をしました。立って見ているとあまり大きく は感じませんが、藁を敷いて座ってみると、なるほどこの建物はその当時の人々にとっては巨大な建物であったと感じたわけです。地べたに座って虫の目を持っ て初めて大きさが分かるんです。  この建物は、みんなで集まって何かをやるエンターテインメントの場所であり、縄文時代の人々はいろいろなネタで楽しんだのだろうと話し合いました。今と 変わりませんね。酒と女と博奕がないと、人間の社会は成り立たないわけですから。その当時から、ラスベガスのカジノのように、ここへ来ると楽しいから、み んな集まってきたのでしょうね。  人間の社会は、希望とか羨望とか欲望がないと動かない。だから、集まって知恵を出し合おうと、コミュニケーションが始まる。そういう意味では、知恵と情 報の「知的な遊園地」というものが必要となるわけです。  そこで、いろいろなものが生まれ、つくられる。例えば、櫛です。櫛には漆が塗られていた。今でも商品になりそうな櫛が出土してきます。やはり、みんなが 集まって、ワイワイガヤガヤ言うその中から新しいものが生まれてくる。集まって情報を交換し合うと、その中から新しい情報が生まれてきます。

気ままな想像からバリアのブレイクへ

 5千年前の縄文時代でも、やはり人が集まって、フェイス・トゥ・フェイスで話をすることによって、いろいろな工夫というものが生まれてきたのでは ないかと思います。そこに集まって話をすると、カッカしたり、ゾクゾクしたりすることがあって、そこで、ソフトが生まれてくる。そのソフトは、エンターテ インメントという感動ソフトです。人間が感動すると、人を動かす。今、物が売れないということは感動ソフトがない、ということです。  物を買って感動するとか、また、行って感動するような場所がなくなってしまった。どんな感動ソフトをつくっていくか、そこでは人をゾクゾク、ワクワクさ せるものかが問題となります。  ワーク&プレイということ、つまり遊ぶことと働くことは同じです。遊ぶと働くの反対側にあるのは、寝ること、休むこと以外のこと、つまり遊びに対して は、一生懸命ということが必要ではないでしょうか。  やはり、遊びが原点です。今のパソコンあるいはコンピューターも、ゲームソフトから始まったわけです。飛行機なら、ただ単に空を飛んでみたいとか、自動 車なら馬よりも速く走るものを考えてみたいということで、すべてが遊びから始まりました。そういう意味では、遊びが原点だということです。  皆さんは、縄文人に負けないくらい、熱くなって遊んでいますか。本気で遊ばない人間に、エンターテインメントのある感動ソフトなんてつくれないですよ。  遊ぶということは、自由で、気ままに想像するということです。想像をたくましくするほど、いろいろなバリアがあることが分かってくる。そこで、そのバリ アを壊していかないと、新しい創造は生まれてきません。  いろいろなバリアをブレイクする勇気がないと、新しい時代は生まれてこないと思います。  梅棹先生が最近書かれた本に『行為と妄想』というのがありますが、妄想するから行為が生まれるのだそうです。ですから、どんな妄想をし続けるか、それが 新しい行為を生んでいくことになります。  私の話はこんなところにしておきましょう。  私どもの会社がベルギーから輸入しているビールを用意していますので、それを飲みながら、楽しくワイガヤをやりましょう(拍手、歓声)。

[トークショー]21世紀の流通業は、変化への対応 (司会:中村 江里子)

司会 ありがとうございました。それでは、このあとが本題ということで、ご参加の皆様からは、あらかじめ中内さんへの質問も頂戴しておりますので、「これからのビジネスマンに望むこと」という内容を中心に、質疑応答を交えてお話をうかがいたいと思います。
■サラリーマンはいても、ビジネスマンはいるか
司会 まず、日本のビジネスマンについて、どういうお考えをお持ちでしょうか。
中内 ビジネスマンに望むことと言っても、だいたい日本には、ビジネスマンっていないでしょう。サラ リーマンはいるけど、ビジネスマンはいるのか。言われたことが言われたとおりできない、言われたことでもできないというサラリーマンはたくさんおります。 サラリーマンはたくさんいますけれど、ビジネスマンはいません。ですから、ビジネスマンに望むことはあまりないですね。だいたい、絶望的です。
司会 では、サラリーマンに望むことは、何かおありでしょうか。
中内 サラリーマンに望むのは、言われたことだけでいいから、きっちりやれ、ということです。言われ たこともできないで、まず言い訳から始める。英国人はスピーチをジョークから始めると言いますが、日本人は言い訳から始めます。結婚披露宴でもそうでしょ う。日本人はまず、「上司が忙しいので、私が代理で来た」とかというように始めます。  最近の総会屋がらみの事件をとっても、そうですね。全部、部下の責任にしようとするでしょう。ですから、日本の社会がそういうことではないですか。  上になった人は、自分が責任をとらずに、失敗したことは全部、自分の部下に押しつけて、うまく階段を上がっていけば出世するわけです。だから、日本の社 会では、サラリーマンというのは、できるだけ失敗をしないように、減点にならないように、遅れず、休まず、働かずですね。それがサラリーマンの極意ではな いですか。
■アメリカで商品を売るシステムを学んできた
司会 中内さんは、30歳頃には、どういう目標を持って、そしてその後、その目標どおりに進んでいらしたのか、経過と変化がありましたら教えて下さい。
中内 あんまり、そういう目標は持ってないですね。私がフィリピンの野戦から生きて帰ってきたのは、腹いっぱいすき焼きを食べたいという一念からです。だから毎日毎日、仕事をして生きていくということしかないじゃないですか。
司会 ちなみに、30歳頃というと、どういったことをされていたのでしょうか。
中内 今から、40年くらい前に、今の会社をつくりました。日本がやっと「もはや戦後ではない」と言 われた昭和30年代でした。今からは考えられない、まだまだ貧しい時代でしたね。  それで、アメリカへいっぺん行って、アメリカ本土のスーパーマーケットっていうのはどういうところかと、見に行ったわけです。  シカゴのシティー・コーポレーションが「ベン・フランクリン」というバラエティストアをやっていました。その会社に頼んで、40日間、いろいろ教えても らおうと行ったわけです。1日7ドル50セントで生活しました。いちばん最初にホテルが15ドルでびっくりしました。これはいかんということで、モーテル を探して、1泊4ドルで40日間の契約をしました。あとの3ドル50セントで3食、飯を食べなければならないわけですから、もうハンバーガーだけです。 40日間、ハンバーガーだけ食べていました。  それで、アメリカのチェーンストアは、どういうシステムで一つひとつの商品を売っているのかを勉強して帰ってきたわけです。帰ってきて、小売業をシステ ム化していくことを考えた。商業の工業化を実現するために、つまり、チェーンストアのシステム化で進めていこう、と。  今、コンビニエンスのローソンが約6500店、ダイエーの大型店が約380店舗、それから首都圏では、ほかほか弁当などいろいろやっています。基本的に は、必ず100店舗以上のチェーンで運営できるビジネスをやろうと考えております。
■お客様に教えてもらって商売をしてきた
司会  そういった形で流通業に入られましたが、流通業で勝負をしていこうと思われたのも、やはりその頃なのでしょうか。
中内 何か才能があればほかのことをやれたわけですが、ほかに才能がないですからね。その前は、商社 の日本綿花におりまして、繊維の代用品スフ(ステープル・ファイバー=人造短繊維)の担当をやっておりました。戦後、帰ってきてから商社に行くわけにもい かないので、家が薬屋をやっていましたから、これをやってみようと薬を売りました。しかし病人ばかり来るわけですから、この商売はあまり気持ちが良くな い。同じやるんだったら病気にならないように栄養剤を売ったほうがいいのではないかと考えて、栄養剤を売りました。  そこが出発点ですね。口から入るものは全部栄養になるわけですから、パンだとか菓子だとか売る。食品を扱い、それから化粧品を扱い、雑貨を扱って、その うちに電気釜を売りました。それから電気洗濯機などの電化製品をラインロビングしていきました。あまり、計画性はないわけです。そうしているうちに、日本 型のスーパーストアという形になっていったのです。
司会 計画性がなかったとおっしゃいましたが、やはり、こういう食料品を入れていく、では化粧品もというふうに広げていく、そう思ったことが実行できるのはすごいことだと思います。私たちにはできないんですが、その原動力は何なのでしょうか。
中内 そうですね、やはりお客さんが買いたいと言われるものをどう揃えていくか、お客様に聞くことで す。商売を始めた時は、すべてお客様に聞いて、どいうふうにするかを教えてもらって商売をしてきました。  何か分からなかったら、お客様に聞くことです。自分で考えても分かるはずがないわけで、お金を払っていただくお客様に、どうすればいいかを聞く。その中 でお客様がこうしたほうがいい、こうするべきだと言うことをすべきでしょう。
■真似をする勇気を持って、失敗を重ねて初めて分かる
中内 いちばん最初、セルフサービスでお菓子を売ることを考えたのは、こういうことからです。それま でお菓子は、お客様が味見をして、これを200グラムとか100グラムくれと言うだけ計って売っていた。これでは、腰が痛くなるし、夕方お客様が集中し て、体がもたない。そこで前もって袋に詰めて売ろうとセルフサービスを始めたのです。  ポリエチレンの袋が開発されて、それに入れると、紙の袋と違って外から見える。これなら、お客様が商品の内容を自分で判断して買っていただけるとセルフ サービスを始めた。いろいろの人が来て、「中内さん、万引きで店がつぶれるよ」と言われたけど、「つぶれるんだったらつぶれたらいいじゃないですか」と 言っていました。案外、万引きされたことはなかったのに、いろいろな人が注意をしてくれましたね。「アメリカではセルフサービスがあるけれど、日本でやっ ても無理ですよ」と言われました。  しかし、つぶれずにここまで来たわけですから、やはり、お客様のして欲しいことをして差し上げることがいちばん良いということですね。
司会 そうしますと、今後の、次なる目標は何かおありですか。
中内 次なる目標ですか、そんな難しいことは考えていません。今までやってきたこともなかなかうまくできていないので、それをどういうふうに完成していくかだけです。あと何年かかるか借金の返済を計算したら、125歳ぐらいまでかかる。あと、50年かかるんですなあ。
司会 125歳になられた時は、21世紀ですが、その21世紀に必要な経営者像と、そして創業者としての情熱を継承していくポイントについて、どうお考えでしょうか。
中内 そういうものは、ないでしょう。全部、職人の世界と一緒で、ほかの経営者がやっとることから盗 む、盗むというのは、つまり、真似をするということですな。学校で教えてもらったことが役に立たないのと一緒で、先進的なものを探して、それを真似すると いうことです。  我々も、アメリカへ行ってチェーンストアとかスーパーマーケットのやり方を見て真似した。今は、東南アジアの人が日本へ来て、日本のやり方をどんどん真 似している。学ぶということは真似ることです。その意味では、勇気をもってどんどん真似をすることです。教えてもらったり、本を読んで分かるというような ものではないと思うんです。自分でやってみて、失敗を重ねながら、やっていく。教えてもらって、「はい、分かりました」というものではないと思うんです。
■小売業は、スピードを要する「変化対応業」
司会 続いての質問に移らせていただきますが、中内さんは「変化を知らずして商売をやるなかれ」とコメントしていらっしゃいますが、変化をつかむには、どういった工夫が必要でしょうか。
中内 ちょっと難しいですな。それが分からないから困るわけで、「変化対応業」と言っています。簡単 に言うと、昨日は売れたものが、今日は売れないということです。  我々のところでは今、POS(販売時点情報管理)のシステムが入っていますから、リアルタイムで「今、何が売れているか」が分かります。逆に、何が売れ ないかは、逆算すれば分かります。お客様の動向について言えば、例えば、温度が2度下がれば何が売れるか、温度が高ければ、冬の衣料とか鍋物、おでんとか は期待したようには売れない。温度の変化に対して、どう対応するかということです。  いかにクイック・レスポンスができるような体質を持っているかがポイントです。小売業というのは、「変化対応業」です。お客様がどういう商品を買われる かについて、毎日、変化をいかに早くつかむかです。  24時間営業しないと、変化に対応できません。ローソンのようなコンビニエンスストアでは、1日3回、弁当を運んでいます。1日3回、弁当を運んでお客 様の変化に対応する。今日、どの弁当がどれだけ売れるか、予測は非常に難しい。雨が降ったり気温が高かったり、いろいろの与件で変わります。その変化に対 応していく。朝の10時に天候を見て昼からの売れ筋を予測する。そして、午後4時か5時に明日の朝の予測をしていく。そうやって、きめ細かく対応していく 必要があります。
司会 そうすると、変化が見られた場合には、もう必要ないものはすぐに交換する、変えていくという素早い対応は、かなりされていますか。
中内 いかにカットしていくか、ということです。コンビニエンスストアでは、大体、1週間から10日 間置いて売れなかったらカットしてしまいます。メーカーにとっては、じっくり売ってもらいたい商品でも、30坪の店では置いておけません。  商品の品揃えは約3000品目です。売れない商品はどんどんカットして、1品目カットしたら1品目増やしていく。1つを増やすためには、1つをカットし ないとしょうがない。その対応を速くしていく。  商品が育たないと、メーカーから苦情も来ますが、売れない商品を置いておくほどの余裕はないわけです。3000品目あって、1年たつと、去年売っておっ た商品はほとんどない。変化への対応がいちばん速い商売というのが、いわゆるコンビニエンスストアです。
司会 確かに、スピードというものが非常に大事だと思いますが、1週間置いておいて駄目であっても、もう1週間待ったら伸びていくものがあるかも知れませんね。
中内 そうですね。でも、それは確率の問題で、そういう商品があるとしても、それはもう見切っていか んと、しょうがない。だから、それが今のコンビニエンスストアの商売です。お互いに競争しているから、確率の低い、置いておけば売れるかも知れないという ものを置いておく余裕はない。次の商品を仕入れてお客様の反応を見ていく。たった30坪しかないから、その中での商品の回転数が勝負です。
司会 反対に、その30坪のお店の中で、中内さんが、あるいは会社として、こだわりとして置いてある商品、売れても売れなくても常に変わらずある商品はあるのですか。
中内 売りたい商品というのはあります。しかし、売りたい商品とお客様の買いたい商品とは、なかなか 合致しない。毎日、バーコードをPOSレジでスキャンすれば、いくつ売れたか、分かります。そういう数字が出てくる以上は、その数字に忠実にやらざるを得 ません。思い入れがあっても、売れていなかったらカットせざるを得ないでしょう。
■「上司の言うことは聞くな」という言葉の真意
司会 このオープン・カレッジは、人材育成の一つとして行っていますが、これからの難しい時代に向けた人材育成については、どのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。
中内 さあねぇ、人材育成で人材がたくさんできたら困るんじゃないですか。どこの会社でも、そんなに 人材を必要とするところはないと思います。人材育成というのは、ある意味では、自分で稼ぐ人を育てるということでしょう。  日本だけではなしに、東南アジアでも、アメリカでも、世界中どこでも通用することが、プロフェッショナルということだと思います。人材として、グローバ ル・スタンダードかどうかということでしょう。  日本の会社では、年功序列で我慢していたら上に上がっていくことは、もうなくなりました。どこの会社でも、人材を育成しようとすることは、あまりないで しょう。逆に、人材を育てたら、「結婚は2回、就職は3回」で、どんどん辞めていくでしょう。  私はリクルートの会長をしていますが、入社式の時に、こう言いました。-「この会社で、上司の言うことは聞くな」と、「だいたい、この会社で30歳以上 で残っているのは、どこにも行くところがないから残っているのであって、そういう上司の言うことを聞いていたら、君たちは絶対に一人前のビジネスマンにな らんから、上司の言うことは絶対に聞くな」と。新入社員は、喜んでいましたね。そういう時代が、もう来ています。  今や新しい時代です。日本でも、一つの会社にずっといることは、もう考えられないのではないですか。みんな、一つの会社にずっといるのではなくて、どこ かへ転職しようという人ばかりではないですか。そうでなければ、この会のように夜遅くまで勉強する必要はないですね(笑い)。そんなに給料も上がっていな い時に勉強する。会社のためにというより、自分のためにやるわけでしょう。
■若さの元は、野次馬根性
司会 ここに集まっている方たちを含めて、若い方たちをご覧になっていて、全体として感じられること、おっしゃりたいことは何でしょうか。
中内 今の日本の中では、全体的に若さがあんまり感じられないね。若さというのは、好奇心があって、 何でも見てやろう、何でもやってやろう、それが若さである。年齢が30代、40代だからというのはあまり関係がない。野次馬根性とでも言うのか、好奇心が ないと若さとは言えないと思う。
司会 中内さんが、若さを保つために、心がけておられることは何ですか。
中内 私もあまり若くはないですけど、何にでも興味を持つことですね。先ほどの三内丸山遺跡でも、梅 棹忠夫先生がそこへ行かれたので私も見に行こうと興味を持ったわけです。誰かが吉野ヶ里に行くと言ったら、行こう。長江に三峡ダムができて閉鎖するならそ の前に行こうとか、中国からベトナムへの通行が解禁になったらベトナムへ行こう。学生と一緒に北の中越国境から南のホーチミンまで四輪駆動車で縦断しよう とか、簡単に言うと野次馬です。
司会 では、こちらで用意させていただいた中の最後の質問です。座右の銘をお願い致します。
中内 座右の銘は、「ネアカ、のびのび、へこたれず」ということです。もう一つは「にこにこ、はきはき、きびきびと」。これは簡単で分かりやすいでしょう。
■流通業は、今後は「知恵の時代」になる
司会 では、皆さんからの質問を受け付けたいと思います。はい、どうぞ。
参加者 これからの流通業には、海外からどんどん日本に参入してくる傾向がありますが、これについてはどうお考えですか。
中内 どんどん来てもらったら、我々がアメリカやヨーロッパへ見に行かなくてもよくなる。隣に来てく れたら隣を見ていればいいわけで、隣の真似をすればいい。それぞれが個性を持って、日本の消費者に対してどう対応していくか。お互いに競争していけばい い。  中小企業は、自動車の部品やネジをつくっているところでも、世界中と競争している。流通業も同じことじゃないですか。日本の国の中でやるか、東南アジア へ出てやるか。市場経済の原則に基づいて自由に競争をしていく。自分の特色を活かして、どこでも通用するノウハウを組み上げていくことが大切です。  だから、今後は、知恵の時代になるでしょう。百貨店やスーパーができたからみわりの小売店が駄目だと言われていたが、最近は、小売店の方が元気がいい。 百貨店の中にも、町の魚屋さん、肉屋さんがどんどん入店してやっている。それだけの技術とノウハウを持っていれば、どこへ行っても商売ができるという時代 が来たのではないかと思います。  今までの小売業は、靴だったら靴だけを売っているという単品目限定店でした。これからは、靴であれば、婦人靴なら婦人靴の、キャンパスシューズであれば キャンパスシューズの、新しい売り方を考えることが必要です。  何を専門にするかということです。その商品に関しては地域のいちばんの店にするということです。いちばん弱いのは、何でも屋です。それだったらコンビニ エンスストアをやったほうがいい。何でもある代わりに、どんどん商品を変えていく。あるいは、その地域のお客様のニーズに合わせて変化をしていかんとしょ うがないでしょう。
■物の価格はワールド・スタンダードに近づいていく
参加者 以前、「価格破壊」ということをおっしゃっていましたが、スーパーの品物の価格はもっと安くなりますか。
中内 安くなるということではなく、グローバル・スタンダードで、世界が一つのシングルマーケットに なれば価格は一緒ということです。日本だけが高いということ自体がおかしい。日本のいろんな規制やいろんな仕組みがおかしい。  例えば、高速道路の料金が高い、税金が高い、人件費が高い、土地が高い。だから、いろんなコストが上がる。ですから日本は、物が高くなる。この今の日本 の仕組みでは、しょうがない。  この仕組みをブレイクスルーして、世界のスタンダードにしていくことが必要です。今後は、21世紀のボーダーレス社会では、関税などいろんな仕組みが もっと簡素化・自由化されて、世界が一つのマーケットになっていくと思います。  日本の物の価格が安くなるのではなく、世界のスタンダードに近づく。「価格破壊」ではなしに、価格が世界価格に近づいていく、ある意味でのノーマライゼ イションをしていくということです。今のいろいろなバリアを壊して、日本で買うのも、世界のいろいろな所で買うのも同じ価格になる。  例えば、ニューヨークの倍くらい生活費がかかること、マンションの値段が高いこと、いろんなサービス費用が高いこと、それが全部はねかえって物価の中に 入っているわけですから、全般的に仕組みを変えていくことが必要です。  ノーマライゼイションで、世界と同じ価格にする。我々、流通業の努力もあって、ようやく酒の価格が下がった。昔は、皆、海外へ行ったら酒を3本さげて 帰ってきたが、最近は少なくなったでしょう。ジョニーウォーカーの黒が1万円の時代がありました。今は、比べものにならないくらい下がってきたわけです。  日本の酒税が従価税で高いウイスキーには高い税金をかけることをやっておったんですが、それはおかしい。今は、アルコールの度数に応じて税金をかける従 量税に変わってきました。だから、焼酎の値段は少し上がって、ウイスキーの値段が下がった。日本の酒税が高すぎると、WTOの中で苦情が来ていますから、 だんだん世界価格に近づいていくわけです。そういう努力をして、いろいろな仕組みをどう壊していくかです。
■株式の仕組みを見直さないと日本の経済に活力が戻らない
参加者 私は証券会社に勤務していますが、いろいろな不祥事が起きて、これからの日本がどうなるか心配な反面、変わるしかない状況だと思いますが、それについてどうお考えですか。
中内 あなたの責任ではないが、証券会社自体がもっと国民の健全な財産形成について考えるべきです。 これは、証券会社全体の責任です。  郵便貯金をするよりも株式に投資したほうがよいという環境をつくらねばならない。株式に投資した資金が民間企業をまわっていくという仕組みをつくらない といけない。  証券市場というものがもっと正常化して、国民の健全な財産形成に役立たないといけない。今のところは、上がったり下がったりして「投資」と言うより「投 機」市場でしょう。だから、普通の人は証券会社に近寄りがたい。やはり、信頼感が証券会社には必要ですね。  やはり、社会全体が健全な投資として株式をもっと見直す時代が来ないと、民間に資金がまわらない。いろんな情報を持った一般投資家が、それぞれの株式会 社に、投機ではなく投資をする環境をつくっていかないと、日本の経済自体に活力が戻ってこないでしょう。
■100年後の日本はどうなるか
参加者 混迷の時代である現状で、100年単位で物事を考える必要があると私は思っていますが、100年後の日本はどうなるとお考えですか。
中内 100年後は分からないねぇ。やはり、今しかない。ピーター・F・ドラッカー先生が言っている ように、「今の中に未来が始まっている」。100年後というのは、今の、今日から始まっているわけです。今日やることが100年後にどうなるかということ です。  例えば、今、出生率が1.4くらいですが、それが100年後には社会に大きな影響を与えるということです。江戸時代の初めに日本の人口は3000万人ぐ らいでした。明治の初めには6000万人くらいの人口で、我々の子どもの時に大体8000万人と言ってました。今、1億2000万人くらいに増えました が、子どもをつくらなかったら、あと何十年後かに日本の人口は6000万人ぐらいになると言われています。  そうすると、住宅も余ってくる。公害・環境の問題も、少なくなって、住みやすくなるのではないですか。ただし、子どもの数が減って、若者がいなくなりま す。
■流動化する国際化時代に、どう対応するか
参加者 これからの時代に通じる国際人はどういうものか具体的に教えて下さい。また、国際的に通じる産業があったら教えてください。
中内 まず第一に、日本という国があるかどうか。我々日本人とか日本民族とかは、残るでしょう。消す ことはできないですから。しかし、ボーダーレス・エコノミーの時代には国境はなくなるでしょう。  その中では、我々は、世界の中で通用する、アジアで尊敬される日本人にならざるを得ないでしょう。「尊敬される日本人」を常に心がけないといけない。日 本の国だけという特殊性はなくなって、どこでも通用するようにならないといけないでしょう。そういう意味でダイエーも、今、上海とか天津で、日本でつくっ たチェーンストアの仕組みが通用するかどうか実験をしているわけです。  そういう時代には、ビジネスマンは、普通、英語ができて、そしてパソコンが自由に使いこなせることが最低の条件でしょうね。フットワークとモバイル。モ バイルを持って世界中を足で歩き回る時代が来るのではないですか。ビジネスマンとして世界中どこででもメシを食えるようにするには、一つのスキルを持って いることが大切です。自分がどういうジョブを持つか、何ができるかが問われる時代がもうすぐ来るのではないですか。  日本の会社にも、そのうちに外国人の重役が入ってきて、取締役会も全部、英語でやらんといかんようになるかも知れません。日本語というのは、あまり通用 しないでしょう。東南アジアはどこへ行っても、タイでも、インドでも、シンガポール、マレーシアでも全部、英語です。ベトナムでも今、盛んに英語を習って います。中国でもそうです。江沢民さんも、アメリカへ行った時は英語でスピーチをしていました。だから、ビジネスではもう英語がスタンダードになるわけで す。  国境のない時代には、たくさんの民族がお互いに入り交じって仕事をしていく。そこでどういうふうに仕事ができるかがポイントです。  だんだん流動化が始まってくるでしょう。流動化の時代には、モビリティーという言葉がキーワードになってくる。「結婚は2回、就職は3回」というぐらい の覚悟が必要です。「誤解して結婚して、理解して離婚する」という時代が始まるんですから(笑い)。
■情報化時代には情報を売るステーションの展開へ
参加者 情報化時代のチェーンストアの品揃えの考え方についてお聞かせ下さい。
中内 トイレットペーパーとか米などは、見なくても分かりますから通信販売になるでしょう。インター ネットとかで、通信販売で買えます。しかし、見て選ぶ、触って選ぶもの、例えば、ファッション、衣料の色や風合いなどは分からないから、そういうものは通 信販売では売れないでしょう。買ってワクワクする、ドキドキする商品でないものは、通信販売で買うことになるでしょう。  我々の子どもの時分は、酒屋さんとかお米屋さんが、自動的に持ってきてくれたので、自動補給でした。酒が1升あれば大体、1週間あります。酒なら、その 家のご主人が何を飲むかは決まっていましたから、1週間ごとに1升びんで配達してくる。請求は盆と暮にするという形です。  同じようなことが、インターネットとか通信販売を通じて行われるようになるかも知れませんね。いちいち見なくても買えるような商品は、商店では売ること がなくなってくるでしょうね。「見て買うのが店」ですから、何を、いかに見せるかを今後は考えていかないといけないでしょう。ただ、トイレットペーパーに も、いろんな匂いがあるとか、柄があるとか、普通のトイレットペーパーとは違うものを売ろうとしたら、その専門店ができるかも知れない。これからは、いろ いろな新しい競争が始まるでしょう。
参加者 今のことに関連しますが、僕らの時代にはコンビニが不可欠です。コンビニも変わってくると思うんですが、5年ぐらい先、近未来のコンビニについては、どうお考えでしょうか。
中内 いろいろなサービスを付加して、いわばマルチメディアステーションですね。野球の切符とか映画 館の入場券とか、チケットの販売をする。それから、ディスクを持っていくとゲームソフトを500円で書き込んでくれる。そういう情報ステーションです。郵 便局の代わりとして切手を売る、電気料・電話料の代金収納をやる。ストアと言うよりも新しいステーションとして、サービスに重点を移していくでしょう。
■プロ野球の球団には会社の縮図がある。
参加者 中内会長のところで、ダイエーホークスを買収なさった理由を、お聞かせ下さいませんか。
中内 あんまり理由はないねえ。地方の時代と言われた時に球団が大阪と東京に集中しているということ、それに、昔、西鉄ライオンズがあったわけですから、もう一度、福岡へ球団を持っていこう、と福岡ダイエーホークスという球団をつくったわけです。
参加者
来年の腰上げは、どうですか。
中内 相手があるから、なかなか難しいですなあ。システムとして、監督とコーチと選手がどういうふう に一体感を持つかがいちばん難しいところです。組織運営でいちばん難しいのはそこでしょう。  プロ野球の選手は、一人ひとりが個人営業です。個人とホークスが契約するわけです。3年契約までありますけれど、普通は1年でホークスと契約するわけで す。月給を払うのでなく、参加報酬です。最も近代的な、アメリカ的な契約の社会なんです。そういう個人の選手を集めてチームにまとめ上げていくのは、やは り監督の力、それからコーチの力です。  だから、来年は助監督をつけて、王さんが監督で、助監督は元巨人の黒江さん、ヘッドコーチが古賀さんという3人のトロイカ方式でいこうということです。 その下に選手をまとめ、どれだけのチームワークができるか。チームが勝つことも大事ですけれども、個人個人は皆、自分を売り込むためには個人の成績も大事 です。それをどのようにまとめ上げるかが、プロ野球の難しいところです。  チームワークをどうつくるか、終身雇用・年功序列でなく、1年契約ですから、非常に難しいものがあります。
■明日のこと、過去のことより今日のことに興味を持つ
参加者 中内会長は、全国の店長の名前、経歴、性格を把握していらっしゃるということを聞いたことがありますが、本当ですか。
中内 店長の名前を全部、覚えるなんて、それはなかなか難しい。覚えておけと言われても、そんなに頭 が良くないですから。予習はよくしとかんといけないので、行く前によく聞いていくことはあります。そんなに頭が良かったら、流通業なんかしなくても、コン サルタントでもやったほうが、ずっといいんじゃないですか。関心を持って、どういう店長かを聞いて、店へ行っていろいろ話をするということです。
 参加者
経営の情熱の根源は何ですか。30歳ぐらいの時に、どういうふうに考えておられたのでしょうか。
中内 30歳ぐらいの時、商売を始めたところで、毎日毎日、お客様から叱られて、どういう商品を仕入 れればよいか聞いては、それに対応するのに追われていた。チェーンストアの店の数を増やしていこうということは考えた。それがどこまで大きくなるかは、あ まり計算したことがないです。忙しくて考えるひまはなかった。もちろん、商品の回転率はよいわけですから店をつくれば売上は上がった。商品の売上と支払い との差、利益により次の店をつくっていこうとしていた。あまりスタッフもいなかったから、自分で仕入れて自分で売って、店長にはいろんな指示を出して、そ して次の店をつくっていった。  大体私自身は、昨日のことは考えない主義です。ゴルフに行っても、一緒に回る人に「つけといて下さい」と言って、自分ではいくつ打ったか、あまり記憶し ていない。明日のことには興味はある。何か面白いことはないか、何か新しいことが起こらないか、と。しかし、過去のことはあまり興味がない。「こういうこ とがありました」と人から言われたら「ああ、そうですか」としか言えない。過去のことに対しては興味を持っていないわけです。  30歳の時には、私は、皆さんの今日の集まりのように、夜遅くまで勉強しようかなんて、そんなことはやってなかった。大阪でビールを飲んで、ワイワイ騒 いでいたのではないかと思うんです。  皆さんのように夜遅くまで、自主的に勉強されたら、21世紀の日本を背負って立つような人が、この中からたくさん生まれてくると思います。21世紀の日 本は、大きな経済力を持った国になるのではないかと思います。しっかりやって下さい。
司会 たくさんの質問に答えていただき、そして、大変貴重なお話をうかがいまして、どうもありがとうございました。大きな拍手をお願い致します(拍手)。
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