21世紀HP_02_TOKYO-MOVE-UP!オープンカレッジ(PC)20160405_03
Academy_banner_sp

1998/07/27 第13回

1998/07/27 第13回

日枝 久氏 : (フジテレビ社長)
「21世紀に向けた放送ビッグバン」

 

日枝 久氏 : (フジテレビ社長)

昭和12年12月31日生まれ。 昭和36年 早稲田大学教育学部社会学科卒 フジテレビジョン入社。 昭和55年 編成局長。 昭和58年 取締役編成局長。 昭和61年 常務取締役総合開発室担当。 昭和63年 代表取締役社長。 平成4年  産経新聞取締役(現職)・フジサンケイコミュニケーションズ・インターナショナル・インク代表取締役会長(現職)。 平成13年7月  代表取締役会長(現職) 。

永井  もう13回目を迎えました。今までの色々な方々に来ていただきましてお話を伺いましたのは、 「人間図書館」という一冊の本になっておりますが、ここに来てまた新たな第一歩ということで考えております。今回13回目ですが、本日のゲストは、フジテ レビ社長でいらっしゃいます、日枝久様にお越しいただいております。では、ご紹介を簡単にさせていただきます。生年月日は昭和12年12月31日生まれ、 大晦日なんです。昭和36年に早稲田大学教育学部を卒業されまして、フジテレビジョンに入社されました。入社後は、報道、広報、営業セクションを経て、昭 和55年、42歳の若さで編成局長になられました。58年に取締役編成局長、そして61年に常務取締役総合開発担当、そして昭和63年に50歳で代表取締 役社長になられました。そして現在に至るわけですが、その他にも平成4年に産経新聞取締役、そしてフジ産経コミュニケーションズインターナショナルインク 代表取締役会長をお勤めでらっしゃいます。本日のテーマは『21世紀に向けた放送ビッグバン』ということでお話をいただきたいと存じます。それでは拍手で お迎えください。日枝社長です。
日枝  どうも、皆さん今晩は。このすばらしい会に、私を今日お呼びいただきまして誠に有難うござい ます。実は、今回で13回目ということで、今までご講演なさった方を見てこれは受けるべきではなかったというふうに実は思いました。私ごときがこのしゃべ るようなものではなくて、日本の各界を本当に代表する方がおられましたので、しりごみをしたんですけれども、一旦、受けた以上はやはり男ですから、受けざ るを得ないということで、今日は何を話そうかなと、さっき出るまで悩んでいたわけでございます。  ここに放送ビッグバンということが言われておりますが、その前にですね、2,3日前の産経新聞、今日の日経新聞、たまたま私は感激をしたので言わしてい ただきますとね。2,3日前の産経新聞で浅利慶太さんがフランスとクロアチアのサッカー戦を観てそれに対して、これはやはりクロアチアというのは凄いと、 やっぱりその国の民族、国家の存亡をかけて戦っていると、つまり、戦争があったのはご存知だと思いますが、小さな国がその国と民族の存亡をかけて戦ってい ると、これは凄い国だと、このサッカーを通じてクロアチアの国は、これでもう世界から消えることはなくなったろう、というようなことを浅利さんが書いてお られまして、私は非常に実は感激をいたしました。  実は逆に今日の日経の新しい会社という中を読みましたら、要するに、今グロバールスタンダードというふうに日本のマスコミもすべて言っておりまして、 我々はすぐそれに乗りやすい体質です。どうも私はグローバルスタンダードというのはアメリカンスタンダードじゃないかというふうに実は思っているわけです けれども、もっと日本人は自信を持てと、今のクロアチア戦じゃないんですけど、もっと日本人というのは自信を持たないといけないんじゃないかと、そういう 中でアメリカも少しずつは反省を始めているんだろうと僕が思っていた時に、これは名前はジーンズ、ジーンズをはかれる方は非常に知っておられると思います けども、ジーンズの最大手の会社のハースさんという会長が非常に良い事を言っていたんですね。「人は手と頭だけで働くのではない。心でも働くのだ」と、こ ういうことをジーンズ最大手のリーベイストラウスの会長さんが言っている。つまりアメリカでもグローバルスタンダード、グローバルスタンダードというの は、正に弱肉強食、強いものが勝つ、弱いものは負けるとこういう世界なんですけれども、彼が言っているのはやはりアメリカの経営者の中にも、人は手と頭だ けではなくて心で働くんだということも大事だということを言っている。この文章に私は非常に今日惹かれて無性に感動していたんです。  もう一つ、実はこの2月ですか、私、経団連の国際交流委員長代行なんていうのをさせられておりまして、東南アジアをいつも毎年1,2月に歴訪していろい ろなお話してくるわけでございますけれども、今年はマレーシア、クアランループールから高速艇で約1時間半ぐらい云った所に、島といいますか、木で出来 た、マングローブという木をご存知だと思いますけれども、木がこう海の中から出てきて、そこの上に自然に島が出来てしまった。下に土も何もない、木の中に 島が出来てしまった。道もないんです。もちろん、自動車もありませんし、ただ自転車はありました。そこにあった時にその子供達の目付き、それから生々とし た輝きを見て、分明と発達とはどういうことなのか、人間の生き方というのは何なんだろうかと、非常に私は感じました。  何故そういうことを申しますかと言いますと、食堂に入って料理を食べます。料理という程のことでもないわけですけれども、そういうマングローブの島なん ですけれども、ちゃんと学校もあるわけです。制服を来ています。目が輝いています。学校の講堂のまん中に国を愛し、それから親を愛し、兄弟を愛しというよ うなことがちゃんと書いてある。日本で忘れられたようなことが書いてある。食事をする食堂なんかを見ますと、食べ終わりますと、海老の殻とか貝の殻、ポッ と海に捨ててしまうわけですね。ポッと捨ててしまう。それから自分の家のゴミこれも海にポッと捨ててしまう。これは確かに産廃物で、産業廃棄物で、今日本 大問題が起こってますけれども、海ということでそれも平気でしてしまう。たぶん、文明人である我々はなんて汚い野蛮な奴だろうとこういうふうに思うでしょ うけれども、私が見た時のその子供達の目、輝き、夢というのが、そういうものに実は私はいたく感動したわけです。  何故冒頭そんな話を申し上げたかといいますと、さっきの人間は手と頭だけで働くのではなくて心で働くものだよということを言ったのを見ましたし、それか ら先程の浅利慶太さんのクロアチア戦の国と民族の存亡をかけて戦った青年達のこと、それから今申し上げたマレーシアの子供達の話、何か共通するものがある ような気がするんですね。私はこれからお話する何か人間の生きる原点というものが、なんとなく日本の中で忘れられて来ているのではないか。確かに戦後の日 本というのは経済に視点をおいて、今度の組閣も総理も景気対策内閣だとこう言っていますが、確かに戦後日本が欧米に追い付くようにということで経済中心で 来てしまった。中川先生もおられるので非常に言いにくいところもあるんですけれども、そういう経済あるいは政治という中で日本の国民の中に忘れてきたもの が今日本の中に現れてきているのではないかと、やはり志とか、夢とか、情熱とか、こういうものがこれからの21世紀にとって非常に大事なのではないか、こ れが全ての原点にあるのではないかということを私はこの21世紀を迎えるにあたってのその放送ビッグバンにあたって、何を言おうともそれが一番大事ではな いかなということを、まず最初に印象深くお話を申し上げたいなあということでお話を申し上げたわけでございます。  先程も控室でいろいろお話をしていたわけですが、放送はどうなるんだろうか、確かに金融ビッグバンということで今いろいろマスコミが毎日毎日書いており ますし、そういうことで参議院選もああいう形になり、また新総裁が選ばれ、まもなく新総理が選ばれ、新しい日本丸がスタートするわけですが、ビッグバンと いうのは特に今回現れただけのことではなくて、昔から常に時代が変われば、大きく変わる時というのは必ずビッグバン、爆発が行われるということはここにお られる皆さん方は当然のことだろうと、認識しておられるわけで、今さら申し上げることもないと思いますが、例えば、この20世紀末これを世紀末というか、 要覧期というか、いろいろな見方があると思いますが、私は常に前向きに要覧期である、21世紀の要覧期が既に始まっているというふうに、私は実は理解をし ています。どういうことかと申し上げますと、19世紀、これもやはり向かいにあった時、皆さんご存知のように産業革命が行われました。これは人の力を石炭 というエネルギーに代えて非常に多くの人の血も流れました。新しい産業が生まれました。その代りそれによって潰れていく所もありました。やはり新しい時代 というのはそういう一つのエネルギー、それから今まで作られた既成の概念というものが潰れることがもう19世紀にあったことは皆様方に改めて申し上げるこ ともないと思います。では19世紀から20世紀なんだったのか。やはりこれは石油かなというような、石炭かなという気が、産業革命が石炭に対して、今度は 石油になってきたわけです。石炭と云えば、20世紀だと私は申し上げましたが、つい最近までトイレットペーパーがなくなった時に大騒ぎした石油、石油を 持っている国が世界を支配した時代、これが石油革命であったわけです。それは19世紀から20世紀にかけて大きなビッグバン、このエネルギーは石油だった と私は思います。これにはもちろんディーゼルですとか、フォードですとか、ベルですとか、そういういろいろな方が生まれて、それを産業化していろいろな物 が生まれたわけですけれども、いわゆる20世紀、まだ終わってませんけれども、石油の時代と言っていいのではないかなというふうに私は思います。  これも今申し上げましたように、ライオンの寺尾元副社長もおられますけど、洗剤がなくなったりして、寺尾さんの所にお願いに行って倉庫からもらった覚え がありますけれども、大変な騒ぎがあったことを、皆さん、つい最近のことだと思ってます。そしてまもなく20世紀が終わって21世紀になろうと思います が、正に僕は今21世紀が幕を閉じようとしている時に、行われているのが情報革命が行われていると私は思います。これは正に情報革命の中核はコンピュータ によってもたらされたわけでありますけれども、そのコンピュータの核になったのがシリコン、いわゆるシリコンバレーというふうに言われておりますけれど も、このシリコンがデジタルというものを新しく発明させた。デジタルが産業と産業の垣根をどんどんこう融和させていって、一つにしようとしている。ですか ら、情報革命というのは、これから21世紀、あと2年、これから始まるんだというふうに私は実は認識をしているわけです。まだまだ情報革命といってもこれ から行われるんだと。皆さんご存知のように、BSあるいは地上波デジタル、これがスタートするのはあと2年後、2000年からです。そこからいろいろな産 業がこう融和しはじめて新しい産業が生まれてくる。正にそれが放送ビッグバンといわれることでありまして、実は金融ビッグバンというのは、皆さん、毎日毎 日、新聞・テレビ等でお読みになっていますし、また自分のお金に直接関係ありますから、大変大騒ぎしておりますが、私はこの放送ビッグバンというのは、正 にそれ以上に大きな産業と産業の垣根を越えて新しい産業が生まれ、あるいは我々の生活、あるいは情報によって世界が縮まり、あるいはインターネットによっ て今までの情報よりももっと更に家庭の中に入り込むという、大変大きなビッグバンが金融ビッグバン以上に私は来るのではないかなという感じがしておりま す。  私どものテレビ局が来年開局40周年を迎えるわけですが、30数年の間こういう悩みを持ったでしょうか、私は持たなかったと思います。ここには広告代理 店の方も随分多いというふうに聞いておりますが、我々の経営者、先輩達は視聴率と売上競争をしていれば良かったわけです。経営者の皆さんは科学技術という ことを理解しなくても会社の経営が実は出来たわけですけれども、この1,2年、去年・一昨年ぐらいから、これからのテレビの経営というものに関しては、技 術が解りませんと経営判断を必ず間違えてしまうだろうというふうに私は思ってます。それを簡単に申し上げますと、地上波のデジタル化、このデジタル化と言 いましても、プロブレッシブと言われたりインターレースと言われてみたり、これをどっちにするか、うちはどっちの基準にするのか、それから、先程申しまし たデジタル化というものが出来たために規制緩和、マスコミは規制緩和、規制緩和と言ってますけれども、規制緩和というのは、ビッグバンというような犠牲も 伴うわけですね。完全な自由競争が行われるということですから、今まで我々の放送界というのは、競争というのはこの界の中だけの競争だったのが、これから は新しいニューカバーがどんどん入って来て、放送事業者だけではなくて、ご案内のようにCS事業を見ていただいたら分かるように、家電、商社、外資、ある いはソフトバンクみたいな所、あるいはメーカーさん、いろいろな放送事業と全く関係ない人がどんどん入って来ている。こういう方々が入ってきて、プロブ レッシブでいくのか、あるいは有料でいくのか無料でいくのかも含めて行政の方は、皆さんが観ているのはNHKの聴視料とそれからWOWOWの有料と、 我々、他は只で観ていたわけですけれども、これからは有料放送にしても無料にしても事業者に任せるというのは、これから出てくるBSの在り方です。地上波 のデジタル化につきましても、今まで我々地上波というのは、私はフジテレビの第8チャンネルというので仕事をしているわけですけれども、行政はこれを3つ に分けてもいいと、1チャンネルでなくて3つに分けてもいいですよと言っているわけです。それからBSについても3つに分けても結構です。有料にしても無 料にしても結構です。あるいはハイビジョンにしても結構ですよ。これは事業者に任せる、こういうことです。今までの正に放送の事業と全く異なる新しい自由 競争の時代が始まったというふうに私は思うわけです。ですから、全く今までの競争という、売上競争、視聴率競争と違う形の競争が行われるようになってきて いるというふうに私は思います。あんまり長いことこの話ばかりしていますと飽きると思いますので後程もう少し詳しくと思いますけれども、いずれにしても今 まで放送が無料であって1チャンネル、ですから5系列ですね。それから地方に局があって、NHKとWOWOW、これだけで出来ていたのが、急に他チャンネ ルになって、有料になるか無料になるか、ハイビジョンになるかハイビジョンにならないかというような形がこれから行われる。自由競争が行われる。つまり ビッグバンが始まるということだけをまずご理解いただきたいなと思います。  それから、まず私自身のなんていうか、今みたいな技術論ばかりを話していますと面白くないので、後程ご質問を受ける材料のために申し上げますと、私の経 歴を簡単にお話した方が私と皆さんとの距離が近くなるのではないかと思いますので、お話をさせていただきますと、私は1937年、昭和12年に生まれまし て、先程も永井さんのご紹介をちょっと簡単に聞いておりましたが、早稲田大学に入りまして、実は私は小さい時からボーイスカウトをやっておりまして、教育 というものに大変、非常に興味を持っていたことがあります。もちろん学校の教師の免許を持っておりますし、したいなと思っておりました。教育実習というの を受けに行きましたならば、その学校名は忘れましたが、多分ほとんどの学校がそうだったと思いますけれども、ほとんど日教組によって支配されていて、子供 たちと先生との会話、それからあったかい交流というのは全くなかった。暗い教員室に私が居て、それから私は自分の担任の子供達と放課後に遊んで、私は少し お小遣いを持っていたので、暑くなったから子供達にアイスクリームでも買って来て「おい君ら食おうよ」と言って食べさせた。いろいろなクラスへ行って、 「放課後先生はここにいるから、遊びにおいで」と言って、随分、日に日にこの生徒達が教室に集まって来た。そうしますと、職員室でそれが問題なるわけで す。「そういうことをされると困ります。」あっそれじゃ、こんな学校じゃ僕は向いてない。というのが一つ。それから、PTAというのが強くなりすぎて学校 の先生をすべて24時間先生として見る。私は焼き鳥屋も好きですし、若いですから、まだ学生ですから飲み屋も好きですし、馬鹿騒ぎもしますし、やっぱり人 間っぽく生きたいと思っていましたから、学校の先生というのは違うように何か押し付けられるような雰囲気がありました。  そういうことが実はございまして、学校の先生はまだ諦めたわけではないですけど、こんな所で就職は嫌だなと思っていた時に、これから申し上げることが人 生というのは分からないなと思うことなんですが、7月の下旬だったと思います。大学が夏休みになって、ちょっとロマンチックな感じになりまして、今の早稲 田にお入りになった方はお分かりだと思いますけれども、法学部というのが校門から入って右側の方にございまして、銀杏がわーっと真っ青な銀杏が、下にベン チがございます。ちょうど就職課の前で、ちょっとこうロマンチックな雰囲気で夢を見るような形でベンチにいましたら、私を就職活動の面接をしてくれた先生 が「日枝君、君はマスコミに行きたい、テレビに行きたいなと、君、フジテレビが試験とは関係ないけれども実習があるよ。研修があるけれども受けておくか」 とこういうお話がありまして、ちょっと面白そうだから行こうということで、実は研修を受けました。確かにこれは研修だけで就職とは関係なくちゃんと10月 に試験があったわけでございますが、そしてどういうわけかフジテレビに入ったわけですが、この運命の一日、つまり人生、人間というのは契約通り何ごともあ んまりいくものじゃないし、やっぱり大事な一日というのは振り返ってみるとあるもので、その日に僕が早稲田大学に行かずに、その教授に会わずに、フジテレ ビというものの存在を私に言ってくれなければ、多分フジテレビを受けてなかったろう。学校の先生になっていたかもしれないし、今日ここで皆さんとお会いす ることもなかったのかなあという感じを今ふっと感じたわけでございますが、要するに私が言いたいのは、一日、一日というのは非常に大事であって、さっき申 し上げた夢とか情熱とか心というのがものを動かすわけですし、同時に一日、一日というのは絶対に無駄な日というのはない。失敗したことというのは絶対プラ スになるし、さっき申し上げたように、私はたまたま大学にその日に行っていたことが、その後の私のフジテレビに入るという運命になってしまったということ を実は申し上げたいために申し上げました。  そしてフジテレビに入りまして、放送記者、私は報道、テレビ局に入るなら放送記者をやりたいということで希望してましたら、放送記者になりまして、約8 年間ぐらい社会部、政治部をやりました。その頃、なんとなく私も情熱的と自分で言ったらおかしいですけど、会社の有り様、管理職の有り様、上層部の有り様 があまり愉快ではない。どういうことかというと、常に我々がものを提案すると、「まあしかたがないじゃないか」とこう常に言うわけですね。当時フジテレビ に組合はございませんでした。私は左翼というのは嫌いなんですけれども、組合がなかったことが会社のエクスキューズにしたわけです。従って、そういう組織 では決して情熱を生むような人間集団にはならないであろう、というふうに私は自分自身考え、何人かの仲間と組合活動に入ったりして、そうしますと組合活動 をしている人間が放送記者をやるなんてことはもってのほかだということで、編成という所に飛ばされ、あるいは広報という所に飛ばされ、あるいは、飛ばされ という言葉はあんまり良くないんですけど、ここに代理店の皆様もおられますので、私は営業というところに飛ばされ、皆さんを相手にしているわけですからお かしいんですが、さっき冒頭で言ったことを忘れないでいただきたいのは、一日、一日が無駄ではなくて、営業に行ったことが、非常に私のその後、編成局長に なった時にもの凄くプラスになっていたというふうに私は思うわけです。それはどういうことかと言いますと、編成に居ますとスポンサーがこう言うからこうい う番組はしてはいけないんだと、営業というのはそういう保守的なことを言いたがるものです。代理店の皆さんもお分かりだと思いますけれども、つまり、現状 維持が一番いいわけです。いろんな作業をやることの方が面倒くさいし、代理店の皆さんも上の方にいろいろ説明するのが面倒くさいし、それからスポンサーの 方に説明すると現状維持であることが一番いいし、スポンサーの方も、ライオンさんはそういうことはないと思いますけれども、上に説明して何か文句を言われ たのではたまらねえと、そうすると保守的になる。日本の政治もそういう所があるのかもしれませんけれども、みんな保守的、保守的になってしまう。そういう 傾向がやっぱりあるわけで、私はそれを経験したのは実は営業に行ったことが、自分の、後で昭和55年に編成局長になった時にそんなことは決してない。やは りクライアント、スポンサーもそのクライアントの立場に立ってお話をすれば、絶対に我々が今までテレビ局にいて、スポンサーというのはこういう無理なこと を言うんだよとか、スポンサーがということをエクスキューズに言っていることがないことを自分が分かって編成が出来ました。私はこういうことを申し上げる と、この野郎というかもしれませんが、今日はちょうど皆さん、若い皆さんですから本音を申しますと、55年に編成局長になった時に、いわゆる既成概念を全 部潰してやろうと、平目社員、上ばっかり見ている奴の意見はもう聞くは止めようと、他のものを真似する企画は止めようということで、それから楽しくなけれ ばテレビじゃない。つまり、自分自身が仕事を楽しもうと、楽しい企画を考えようと、夢を作ろうと、こういうことを考えて平目社員は全部排除する。上ばっか り見ている、それから権力ばかり見ている人、つまりどういうことかと申しますと、社長にいくらいい企画と言われても我々の大衆が何も承けてくれなかった ら、クライアントは媒体を買ってくださるわけで社長を買ってくれるわけじゃないわけです。往々にして駄目な会社というのはいろんな標準を合わせようとす る。役員に合わせようとする。自分の部長に合わせようとする。で、会社は一つになると言って喜んでいる。うちの会社は金太郎飴だなんて喜んでいる会社は僕 は良くない会社だと思います。そういう会社におられたら、ご注意になった方がいいと私は思います。むしろ桃太郎集団、雉がいたり、猿がいたり、犬がいた り、いろんな個性のある人がいて、何か一見バラバラに見えるだろうけれどもエネルギーを持っている、いろいろな人が桃太郎の中に何か一旦事があったらダッ と進んでいく会社、これがいいんで、実は外から見てなんとなく金太郎飴だなんて、上で言っている人がいたらその会社は伸びないだろうと、例えば、弊社です と、私の考えと新入社員ともし同じような考えを持っていたらフジテレビの将来は僕はないだろうと、別の考えがあるから会社というのは伸びていくのだろう と、それをまとめていく、マネージメントしていく、それからそういう環境を作っていく、それが私の仕事だろうなという感じが実はしているわけですが、そん な事があって編成局長をやりました。  お陰さまでそれから12,3年で視聴率がトップになりました。それはどういうことかというと、面白いこと、珍しいこと、新しいこと、それから独創性と話 題性、もう一つ申し上げますと、上を見ない、平目社員にならない、蛙社員を排除をする。やっぱり今言った独創性と話題性のある作品を、やはり新しいこと、 珍しいこと、面白いことによって創り上げていく。いつも言っているのは、私は会議でものは決まらないよと、データでものは決まらないよということを実は 言っているんですが、データで決まるということになれば、どの会社も全部良い番組が生まれると私は思います。例えば、若い中学生、小学生に自分達が行って みたい所、今でも修学旅行で行ってみたい所は、中川先生の地元の北海道、これは一番行ってみたい所です。それから赤川次郎さんの作品が好きです。例えば、 タレントさんですと、さんまさんが好きだとかいろいろデータは出ます。ではこの人達を組み合わせて良い番組が出来るかといいますと、決して出来ません。い い企画書を作って、これで出来るかというと出来ません。  何かというと最初に私が冒頭で申し上げた一人の人間、ものを作る一人の人間のロマンであり、情熱であり、志であり、夢、こういうものが全員を引っ張って いって、タレントさんも引っ張ってくるようになるでしょうし、脚本家も引っ張ってくるようになるでしょうし、カメラマンも引っ張っていくでしょうし、美術 も引っ張っていくでしょうし、それからもちろん営業マンも引っ張っていくでしょうし、代理店の皆さんも引っ張っていくでしょうし、みんなを引っ張ってい く、それによって大衆が引っ張られていって、その番組は話題になってくる。そういう会社を目指したかった。それが目指せたというのが55年ぐらいでありま す。その後、私は総合開発という所に参りまして、そこで今申し上げた放送ビッグバンではありませんが、デジタル問題、あるいはBSの問題、CSの問題、あ るいはインターネットの問題、こういうものを勉強しろということで行かされたわけでございますが、言葉とすると行かされたというふうにさっきからいろんな もので言ってますけれども、だいたい人間は皆、人事異動になりますと行かされたと言います。ここに居られる方でも、ほとんど人事異動になると「俺は行かさ れた」とこう言います。それは間違いでありまして、さっき言ったように人生そんなに無駄というのはないんですね。イスランの『大河の一滴』で人間所詮みん な水がこう大河の流れであって、大平洋に流れて水の一滴だというふうな『大河の一滴』という大ヒット作品がありますけれども、仕事で皆さん殺されることは ないと絶対にないと私は思います。だから、どういう所へ行っても、自分の志と、私は放送人を、今でもまだ放送人を夢見ていますけれども、そういうものを 持っていれば大河の一滴のように大平洋の大きな流れの中に身を任せられて行ったとしても殺されることはないし、やはり大きな流れの中で生きているというこ と自体がすばらしいわけですから、そういう気持ちで番組をやっていくべきであって、ちょっと横道にそれましたけれど、今社長をやっている時に、この放送 ビッグバンがそんな恐ろしくなく対応できるというのは、その時、編成局長から総合開発局長に異動になったということがあって、まだフジテレビがなかったセ クション、そこをやれと言った時に非常に私も戸惑ったりしたわけですけれども、それがあったために、今放送界でこのビッグバンがあっても全然、全然という とちょっとオーバーになりますけれども、そんなに悩まずに、また恐れずに出来るということになるわけですから、皆さんにも、是非私の自分自身をお話しなが ら、一つの参考のためにご理解をいただきたいんですが、その後、たまたま私どもの会社でトップが死に、機構改革があり、たまたま私がその社長ということに なって、本当にたまたまなったわけでございまして、皆さん、この中で社長になりたいなと思って方もあろうかと思いますけれども、これは本音で言いますとナ ンバーツーで留まっているのが一番楽でいいので、そんなことを言うと怒られる方もいますけれども、ナンバーツ-で喜んでいる人も、当時あそこにもおりまし たから、ナンバーワンになるとこんなにしんどいものはなくて、ただ結果が問題ですから、何番になろうと思ってなる人もいない。国会はどうだか分かりません けれども、辛いものをどうやって自分でやっていくかとこれはまた後程ご質問もあろうかと思いますので、話を申し上げますと、やはり全てどんなことでも逃げ ていると自分の血となり肉とならない。なんでも与えられたことに対して自分で逃げない。代理店の方でしたら、局あるいはクライアントに責任を押し付けな い。テレビ局、私はテレビ局ですが、私が自分で営業にいた時に言い続けたことは、どんなことがあっても代理店さんには責任を押し付けないというのが自分の 信条でした。実は外目だけいいという人が非常にいるわけですけど、絶対にそういう人は将来に信用を得ないことになろうと私は思っています。そんなことで今 社長をやっているわけですが、幾つかの脈絡のない話ばっかりで大変恐縮ですけれども、あとで質問が大いにあるのがこの会だということで、いろんな話に脱線 したり、横道に逸れたりしますが、では一番私が何が心配かというと、テレビの影響力の強さです。本当に毎日毎日24時間何か電話があると心配です。何かう ちで問題を起こしたのではないか。生番組で何か問題を起こしたのではないか。例えば、笑い話になるかもしれませんけれども、先々週、ワールドカップ、 2002年が日本ですから、パリにワールドカップの決勝戦を観に参りました。そしてパリで日経、読売、朝日さんの通信衛生を使った新聞が出ています。もち ろん、第一報は、何かうちでベンガル虎を食ってしまったというのが話題になってしまった。こういう情報が私の所に来まして何を言ってるんだろうなと思って 新聞を見ましたら、新潮社の広告の中に僕の写真がボーンとあって、ベンガル虎を食うと書いてある、これは僕がいくらなんでもベンガル虎は食ってないので、 急いで内容を今度はFAXを送ってもらった。一言も日枝久ベンガル虎を食ったのではない。フジテレビがベンガル虎を食ったドキュメンタリーをやったという ことでコメントをどう出すかという話があったんですが、私はその時にうちの広報に言ったのは、一年前に死んだ虎を解凍してくれたのでそれを煮て食ったんだ と、こういうことなんですと、そういうものではない。今テレビの影響力は大きいわけですから、自然保護というのが今非常に求められている。ダイオキシンば かり話題にするのではなくて、そういう所までも問題になっているので、やはり不注意だったということを大いに詫びるべきだということのコメントを向こうに 言ったわけですし、同時に、皆さんご存知かどうか分かりませんけれど、テレビが世論を動かす影響力、これは3年程前のデータですけれど、政治、経済、社 会、国際的なものを含めて70%がテレビによって世論を形成する。これはビデオリサーチの調査ですから、私の所の調査ではございませんが、そのようにテレ ビが非常に影響力が強い。これは多分3年程前ですから、私は現在は70数%までいっていると思います。そうした放送人というかジャーナリズム、ジャーナリ ズムというのはそんなに難しいことは言わないでいいわけで、バランス感覚と平衡感覚、謙虚であること、これがジャーナリズムだと思いますが、これを常に社 内で言い続けていますが、常に逆を言いますと、それがもう頭から離れません。というのは生番組が非常に多くなって出演者が勝手なことを言った場合の、私は 常に社員に言っておりますのは、出演者が言ったということは絶対言ってはいけない。放送した以上、免許は、フジテレビに免許を与えてくださってるわけです から、フジテレビの責任である。逃れることは出来ないということを常に言ってるわけですけれども、そういうことが、非常に私は毎日毎日が苦しんでいること です。  もう一つは、もう少し時間がございますね。もう一つ言っておきます。あとは質問お受けすることに致しますが、現在、ハードが先行してCS、BS、重話デ ジタル、あるいはインターネット、いろんなことを言ってますが、何と言っても問題なのはソフトがコンテンツと言った方がいいと思いますが、アメリカに負け ています。ハードはアメリカにそう負けているとは私は思いませんが、コンテンツが圧倒的に負けています。例えば、皆さんご覧になったかもしれませんが、タ イタニック、これはこんなことは日本では絶対出来ませんけれども、250億円の投資をしてなんと全て全世界の配給収入、マーチャンダイジング、放送権、ビ デオ権、いろいろなものを含めまして1兆円の収入になります、と言われています。そのようにハリウッド型のソフトの作り方が日本にはまだ行われていませ ん。日本の場合、88%がテレビ局がソフトを作っています。テレビ局はそんな250億円の制作費をかけたら本当に潰れてしまいます。従って、大作、全世界 に共通するようなコンテンツは今出来ておりません。ただ今申し上げたようなハードが、どんどん、どんどん他メディアになって来た時に日本がやっていけるの かどうか、これが非常に我々にとって大事ですし、私は今フジテレビが21世紀に求めている将来像、どういうことかといいますと、そうしたコンテンツをいろ いろなメディアに提供出来る、つまり地上波にも、BSにも、CSにも、あるいはパッケージ系にも、もちろん映画にもですけど、そういうふうに他メディア、 他チャンネルにも二次利用、三次利用、いろんな所に提供出来るような情報産業の中核、ハードだけではなくて、そうしたコンテンツを中心においた衛星を取り 巻く集団にフジテレビをしたいというのが、私の夢でございますし、そのためにCSにも進出しておりますし、BSにも進出しておりますし、インターネットに も進出しておりますし、お金もかかりますけれども、これが将来の夢ですし、社員全体がこの夢に今勝ってくれればいいなと私は思っています。冒頭申し上げ た、やはり社員一人一人が夢とか志とか情熱とかこういうものを持っていませんと、我々の産業というのは絶対どこかでぶつかる、頭がぶつかってしまいます し、だらだらとした会社になってしまうだろうと思います。皆さんご存知の『北の国から』を書いた倉本創さんがいい事を言っておりましたけれども、現役とい うのは常に変革を繰り返す人間を現役という。これはアメリカのサミュエル・ウルマンは『青春』という言葉の中で同じような事を言ってます。その青春という のは肉体年齢をいうのではなくて、精神の活動をこれを青春だというんだというふうにサミュエル・ウルマンが言っております。倉本創さんも変革、常に変革を 続けている限りその人を現役というんだと言っておりますけれども、私は正にそういう事を常に思いながら仕事をしていきたいなあと思いますし、出来るか出来 ないか、常に自分でそれをハッパをかけながら仕事をして参りたいというふうに思います。ちょっと難しくなりましたが、一言、つい最近見つけたコピーの中で 私が好きなコピーなんですけれども、『みんなの事を自分の事のように考えられたら、素敵だよね』というコピーが実は制作者知らずでありました。こういう気 持ちというのは先程申し上げましたジーンズの会社のアメリカでもそろそろ経営者が考え始めている。日本も、グローバルスタンダード、グローバルスタンダー ドと言って日本固有の文化、システムをなくさないようにしながら、この放送ビッグバンに立ち向かって行かなければならないのではないかなと私は思ってま す。最後に、一つ言葉を贈らせていただきますが、魂、ソウルですね、これはずっとサラリーマンで今まで来た時に言い続けて来た言葉なんですが、心の中にで すよ、外に言ったらバカなんて言われますから、「魂、ソウルにおいて頑固、心、マインドにおいて柔軟、そして精神、スピリットにおいて快活」こういう事が やっぱりサラリーマン生活にとって非常に大事ではないかなと、今、皆さんにお話しながら、そんな感じが致しております。まだまだお話したいんですが、あん まりお話すると取り留めない話ばかりになりますので、この辺で。質問をなんでも結構でございます。タブーはなくお受けしたいと思いますので、この辺にさせ ていただきます。有難うございました。


永井  有難うございました。本当に多岐に亘るお話を頂戴いたしまして有難うございます。 この後はトークショーの方に移らせていただきますが、ステージの上にテーブルとイスの方を用意させていただきたいと思います。ほとんど今のお話でお話し尽 くされたかなとも思うんですが、これから、事前に皆さんにいただきました質問の方を中心にお話を伺って行きたいと思います。ちなみに、放送ビッグバンとい うのは、とても広い題材なので、今日、マスコミ関係だという方いらっしゃいますか。ちょっと手を挙げていただけますか。だいたいどの辺りから話を始めよう かなというのを迷っておりまして、マスコミあるいはマスメディア、放送ビッグバン関係の仕事をしているという方。はい、有難うございます。BSを持ってい るという方、いますよね?どうやって、皆さんワールドカップサッカーを夜中まで、NHKだけですか?そんな恥ずかしがらずに、BS。CS契約しているとい う方、はい、有難うございました。それ以外の業種の方は様々ですね。割とリバティ・オープン・カレッジってシャイな方が多いんですよね。出口を出たとたん に皆賑やかになるんですけれども、ご協力有難うございました。これから日枝社長をお迎えしてお話を伺っていきたいと思います。聞き手は永井でございます。 よろしくお願い致します。さっき自己紹介をするのを忘れました。では、どうぞそちらのほうに。 では、よろしくお願い致します。
日枝  こちらこそ。
永井  なんといっても、私は日本テレビにいたものですから、遡ること今から10年前なんですけれども、ちょうど入社試験というのがフジテレビと日本テレビが同じ日でございまして、フジテレビは一次でバッサリ落とされたという思いがございます。
日枝  悪い試験官ですね。基本的に。
永井  露木さんだったんです。
日枝  あー、悪い。だからダメです。言っておきます。
永井  それはいいんですけれども、いいえ、とんでもないです。私、日本テレビを円満退社させていた だきまして、今フジテレビの番組にも少しずつ出させていただいているので、今日だけは都合が悪くて他の人にして欲しかったんですが、フリーになってから、 時間がとれるものですから、こういう機会をいただきまして有難うございます。 講演会は基本的にあんまりお受けになってないというか、それだけお忙しいということなんですけれども、ちなみに今日の社長の一日というのはどういう一日 だったんでしょうか。割と今日は早くからお入りいただいたんですけれども。
日枝  今日は、先程お話したんですが、郵政大臣がデジタル化完備したフジテレビを見たい。辞める事 が決まってから来られたので、非常に残念なんですけれども、来られました。約3時間、それを私がご案内をしまして、そのあと、衛星放送会社の退任される、 この方も退任される時にご挨拶に来られまして、それから新任の方が一人来られまして、それから秘書とスケジュール打合わせをして、それで、来たような感じ です。今ちょうど中川先生が来られる、あの時言えば良かったですね。辞められてから来られたので、辞められる時に、今日、うちに大臣が来られまして、辞め ることが決められてから郵政大臣を来られたという今お話を
永井  あと3日ぐらいですのに、辞める前にフジテレビは見ておきたかったんでしょうね。
日枝  そうでしょうね。お忙しかったんでしょうね。大臣。
永井  3時間も、社長というのはいろんなお仕事があるというのを今思ったんですけど、まず、放送 ビッグバンということなので、働く立場からも少し伺いたいと思ったことを幾つか伺って行きたいと思うんですが、日本というのは空気と水とテレビは只だった 時代がずっと続いて、そこに来て今、CS、スカイパーフェクトTVとか、ディレクTVというんですか、お金を払って放送を観ましょうという流れになって来 ている。これから、チャンネルが増えるのは分かるけれども、視聴者としては地上波とBS、CS、この役割の違いというのを、会社によって解釈の仕方が違う と思うんですけど、全てこれからお持ちになるというフジテレビの考え方としては、どういうふうに住みわけをしようと思ってらっしゃいますか。
日枝  全く違うように理解した方がいいと思うんですね。地上波というのは、免許をいただいて広くあ まねく全ての人達に平等に電波を見せなければいけない。ということで内渉対策をやったりいろいろしてますね。皆さんもお分かりの通り、台風情報が来たり、 世界の出来事が来たり、昨日の和歌山県のああいう死亡事件が起こったりすると皆一生懸命観る。つまりライフラインになるわけですね。ライフラインが地上 波。
永井  ライフラインが地上波。
日枝  しかも地域地域に免許があるわけですね。皆さんがちょっと誤解をしているのは、デジタル化と いうと地上波も一つの星で行ってしまうのかなと、これは全然違うので、やはり地域地域に免許が与えられている。つまりローカリティがかなりこれから出て来 なければいけないテレビ局になるだろうと。BSというのは、一つの星の中から全国に一斉に波が出てしまう。従って、皆さん成り立たないんじゃないか、コ マーシャルが成り立たないんじゃないかと言うけど、大間違いで、大間違いというのは言い過ぎかもしれませんが、日本というのはアメリカ、中国、ソビエトぐ らいに匹敵するぐらいに緯度が多いんです。北海道から沖縄まで、従って、クライアントさんが風邪薬を出す時に北海道で映して、もうとっくに沖縄は梅雨明け 宣言して風邪薬なんて飲むバカはいないわけですね。それから、例えば分かりやすく言うと、傘を梅雨の所を映して、まだ北海道はそれどころじゃない。という 場合、東北は違うというふうに、約全国一斉にばっと流していいクライアントというのは約30数%と言われているんです。
永井  そうなんですか。
日枝  もちろん他の残りの70%も全国でいいんですが、地域差によってエリアマーケティングで、ス ポットによってしていかないと意味がないわけですね。つまり風邪をひいてない人に風邪薬をいくら宣伝しても駄目なのといっしょで、服でもそうですし、いろ いろ同じですから、ですから、基本的にはBSとCSと少しはもちろんシェアを食い合うことがあるわけですけれども、やはり出し方が違う。つまり全国ネット の番組ですから、そういうクライアントになりますし、同時に番組もローカル番組がしにくいわけですね。ですから全国紙に対し地方紙というのが分かりやすい のかもしれないけれども、つまりローカル局はやはり地域の情報を積極的に発信して行かないと地元から見放されてしまう、ということがある。しかし、BSは 全国波ですから、地方から来たかなり大事なニュースを全国に発信するというような事です。この違いをまず分かっていただいて、あとはCSですけど、CSは 全く私は違うメディアだと思ってまして、映像音声の伝送メディアというのかな、つまり分かりやすく言うと、この中でゴルフが好きな人、野球が好きな人、そ れからラグビーが好きな人、サッカーが好きな人、剣道が好きな人、柔道が好きな人、いろいろいますけれども、10万人の人が観てくれれば1チャンネルって 成り立つわけですね。その代り、皆さんご存知のように、ラグビーは宇都宮国立競技場一杯にしても視聴率1%か2%ですね。しかし、あれはCSでやれば十分 に利益が上がるわけです。それから、元いた日本テレビさんですね。これは巨人読売しかないわけで、これをやらないと視聴率が上がらない。しかし、他の球団 をやっても全く、パシフィックをやっても上がらない。しかし、広島、中日、ヤクルト、太洋、横浜ですか、そういうのを好きなファンというのは30万人、特 に中日とか広島なんて行けば、何百万人いるわけですね。阪神もそうですね。そういうのをCSでやると十分お金になるわけですね。それからもう一つやり方と いうのはインターラクティブで、例えば、『寅さん』という映画をそれはまあ**が高いでしょうけれど、例えばですよ、『寅さん』の旧作を放送で流してや る。あれを買いたいとビデオで売ってますよね。売りたいというので、いくらで、どこで、どう買えばとなるとクリップして売ると、今後21世紀になればそれ が買えてしまう。それで電子決済でそのものが送って来られるというような時代になる。つまり一つものを繰り返し、繰り返しやっていくそのターゲットがはっ きりしているチャンネル、ですから国会チャンネルもCSでありますし、いろいろ非常にターゲットが違う。分かりやすくいうと、地上波が機関メディアで、準 機関がBSで、それから保管専門チャンネルがCSだというふうに理解していただければいいんじゃないですかね。
永井  分かりやすいですね。私もこの違いが随分分からなくてですね、アメリカなんかに行くと100 チャンネル以上あって、そんなにチャンネルがあったら全部食い合っちゃって、淘汰されていってしまうのじゃないかというのをCBSの記者をやっていた人に 聞いたんですけども、ではこれからどうなると思うというふうに話を聞いたら、やっぱり地上波で残ってくるのはやっぱりさっきおっしゃったようライフライン の部分のニュース、だから三大ネットワークは絶対に潰れないという話をしていたんですけれども、そうなってくると、今までは地上波において非常にカラーみ たいなのが分かりやすかったんですけれども、そのカラーの出し方というのは、地上波、BS、CS、それぞれにどういうふうにフジテレビカラーを付けていこ うというふうに思ってらっしゃいますか。
日枝  これはどんな産業もやはり差別化というのが必要ですから、地上波で差別を付けたように、例え ば、フジテレビなんていうのは今から10数年前はバラエティのフジテレビというのが、今はバラエティの日本テレビでドラマのフジテレビとこうなってしまっ ているわけですから、その時代時代によって、あまり既成概念で決める必要もないわけで、弱い部分を強くしていくということだと私は思いますね。
永井  先程のお話の一番最後の所で多分こういう事をおっしゃられたのは、もしかしてCSを睨んで おっしゃっているのかなと思ったんですけど、今までテレビというのは地上波はもちろんスポンサー収入で放送してきたわけですけれども、これからはソフトの 時代、ソフトでいいものを作り続ける、あるいは権利を買っていく、権利の時代なのかなというふうに私は解釈したんですけれども、それはどういうふうに。
日枝  全くおっしゃる通りで、さっきちょっと申し上げたハードだけはもの凄く進んでいるんですけ ど、日本の場合は。権利というか、ソフト、コンテンツを作る、例えば、7,000時間、テレビ局で1局作っているんですよね。民放だけで5系列、 35,000時間、年間作っているんですね。映画、アメリカのハリウッドというのは約350本、2時間とすると700時間、するとテレビ局7,000時 間、だけどそれが世界に権利として売れるものがあるかというとほとんどない。それから、ちょっと資料を今どこかに入れてあるんですけど、アメリカの場合の 映画は、例えば、日本のソフトがリピート化が1回だとすると100倍以上の差があるんです。
永井  そんなにやってるんですか。
日枝  だから、ハリウッドというのは正に世界の情報というか、こういうコンテンツの中心になるわけ で、まず、映画で多分、これは私の想像ですから、分かりやすく言葉でいいますと、『タイタニック』なんていうのは250億のうち回収200億ぐらい、 200億いってるかなアメリカで、あとは世界の配給、そういうので300億ドルぐらい。あとは放送、地上波、衛星、CATV、放送系で取って、あとはパッ ケージ系で取って、いろんなグッズで取って、音楽で取ってというふうに権利、権利で商売をしている時代。これが21世紀の我々のメディアの一番大事な所に なるだろうと僕は思ってますがね。さっき僕が冒頭で申し上げたフジテレビの将来の夢はそういう権利を多く作り上げて、優秀な権利を作り上げて、BS、 CS、地上波あるいはパッケージ系、いろんな所に放出、インターネットも含めてですけれども、そうやって出していきながら、収益を増やしていきたいという のが正に今ご質問のポイントになるんだと思うんですね。
永井  そこでですね、これは私も会社を辞める時に少し考えた事なんですけれども、これからチャンネ ルが増えてソフトが必要な時代になってくると薄利多売の時代になるのか、それとも外にソフトを買いに行くということを多くして、でも実質クオリティを高い 物を少なく作っていくシステムを作っていくのか、テレビはどっちに進むんだろうというのを考えたんですけれども。
日枝  非常にやさしいようで難しい。難しいようで簡単な話なんですけどね。やっぱり、みんなが観てくれるものを作るということなんだろうと思うんですね。
永井  分かりやすいですね。
日枝  それしかないだろうと思いますよ。例えば、『北の国から』というのをこの前やりましたけれど も、もの凄く高くて通常からいったらあんなものは割に合わない。しかし、ああいうものをやって価値が生まれているとクライアントがちゃんと付いてくれるわ けですから、やっぱりみんなが観てくれるものの時代、淘汰の時代が行われるというふうに考えるのがいいんじゃないかと思うんですね。
永井  それを聞いて少し安心しました。少し安心しましたというのは、多分CS、BSは分からないで すけど、CSに加入してらっしゃる方は感想としてお持ちになったことがあると思うんですけれども、今のCSってとりあえず始めてみたという感じの番組がと ても多いので、とても不安に思ってしまうんですね。ただチャンネルをこう埋めてる、時間を埋めているというだけの番組じゃないだろうか、これがずっと続い てしまうんじゃないかというのは誰もがお持ちだと思うんですけれどもそれはやっぱり淘汰されていくべきなんでしょうね。
日枝  そうでしょうね。もう少し分かりやすくいうとみんな商売をやってるわけですから、商売をやっ ているということは、放送というのはストックが効かないから出さないといけない。お金を払ってくれる人が誰もいなかったら、その会社は倒産してしまうわけ ですから、やっぱりCSにしても、BSにしても、地上波にしてもいい物を作って行かないといけないんですね。
永井  それは嬉しいですね。
日枝  だから、永井さんなんて引っぱりだこだと思いますよ。これから。
永井  有難うございます。あれ笑う所今の。 それは、多分作る側としては一番不安に思っていることだったので、観る側にしてもそうなんですが、いい番組を是非作り続けて行ってください。
永井  20代の時にどういうご苦労をなさったか、あるいは楽しい思い出があったかというのが聞きた いなと思いまして、ちょっと調べてみたんですが、先程のお話にもちょっとありましたけれども、20代の後半で組合活動を始められて、編成部に先程飛ばされ というふうにおっしゃってましたが、編成部なんて憧れの部署だと思うんですが、組合活動でどのような活動をしてらっしゃったかというのを少しお聞きしたい んですが。
日枝  さっきもちょっと申し上げたんですけど、あんまり難しく考えないで、僕は左翼って嫌いなんで すけど、フジテレビにないことが、何か会社でものをやる時のエクスキューズに使うわけですよ、上の幹部もみんな、「うちは組合ないからしょうがないよね」 と、そういうのが嫌いだったのでじゃあ作って堂々と戦おうよと、他の局と一緒に戦おうじゃないかというのが一つ、それから25歳定年制てありまして、僕は フェミニストですから。
永井  女性が25歳で定年だったんですか。フジテレビは昔。
日枝  定年だったんですね、フジテレビは。それはやっぱりおかしいと。そういうことで女性にもてた いために組合なんか作った。この辺が二つちょうど29から30歳の頃ですかね。それで二代目の書記長かなんかに祭り上げられてしまって、だから私どもの会 社は赤旗というのは一つもないんです。僕は赤旗って、さっき言ったように左翼は嫌いですから、青旗になってるんです。
永井  マーマレードみたいですね。ただ、組合活動をするということが、多分その時代では今以上に出世への道というのを閉ざすものではなかったんですか。
日枝  いや、完全に閉ざすものだと思ってました。だから、人生というのはさっきから申し上げてる勉 強だなと思うのは、そういうことをやっていたおかげで、みんな会社のいろんな技術の人、美術の人、いろんな人の気持ちというのが理解も出来たし、組織とい うのはどうやって皆を引っ張っていくのかということの勉強も出来たし、物事の妥協とか主張とかいうのをどうしたら進むかというのが勉強が出来て、給料貰い ながら組合活動が出来たというのは本当に幸せだなと思ってますね、僕は。
永井  そうですか。その時代の組合があったからこそ今のフジテレビ、制作部分というのは昔のテレビ局というのは本当に別会社、特にフジテレビは子会社になったんですね。それをフジテレビの会社内に吸収出来たということがあったんですよね。
日枝  それは、私が編成局長を命ぜられた時に条件をつけましてね。
永井  珍しいですね。局長になる時に条件を付けるというのは。
日枝  本当なんですよ。何故かというと今日は全部本当の話をしますと、今で編成局長をやって社内に残ってる人は誰も居なかったわけですよ。僕の前は。
永井  編成局長って43歳の時になったんですね。
日枝  その前、全部どこかに行っちゃうんですね。ああ、俺はこれでサラリーマン生活終わったと、本 当にこれは格好をつけているわけでなくて、それならば、ちゃんと言いたいことを言ってやらせてもらおうと思って、プロダクション化したものを全部社内に制 作を戻していただきたいという条件を付けたら、いいよといのうで、実はしました。それがさっき言った55年の、やっぱりフジテレビがまた再興したきっかけ じゃないかなと僕は思いますけれどね。
永井  いわゆる大部屋構想。なるほど。呼んだら向こうで全員が、例えば、技術から美術から制作からアナウンサーから、全員がそのフロアで一緒に仕事が出来る、番組が一つ出来る、という構想ですよね。その55年体制があってフジテレビが視聴率No1の時代になってきた。
日枝  そうですね。その頃の前は、例えば、キャッチフレーズだって作りはしないし、さっき言ったよ うに上ばかり見ていた社員なんですね。みんなが。その時に『『楽しくなければテレビじゃない』というキャッチコピーを作って、コーポレートコピーですけれ ども、それでも社内では当時堅かったものですから、視聴率最下位でしたから、そういうのはちょっとオチャラケ過ぎているんじゃないかと、楽しくなければテ レビじゃないというのは、じゃあニュース、報道の人間はどうしたらいいんだとかですね、だいぶ議論がございまして、だけど決めましてね。NHKさんがその 後すぐ『楽しいばかりがテレビじゃない』とやってくれたわけですよ。これでこれは成功したと僕は思って、やっぱり両方あっての成功だと思って、本当に成功 した。それからフジテレビはまだ『楽しくなければテレビじゃない』とやってますけれども、やっぱり人様からある部分批判されて、だけどこれを押し通すとい うのが大事じゃないかなと今でも思いますね。
永井  でも、43歳ですか編成局長が、43歳の若さで、確かにこの人は実力はあるだろうと、皆から 思われていてもそれを押し通すだけの力というんですか、そういうのは、例えば、ネゴシエイトとか、上司に気に入られるとか、下がついてくるとか、いろんな 要素が必要だと思うんですけれども、何を一番大切になさいましたか。その時は。
日枝  何だろうな。さっきも言ったかもしれないけど、やっぱり与えられことを逃げないというのが一 番大事なのかもしれませんね。編成の時もそうですし、営業もそうですし、どの時もそうですけれども、やっぱり逃げないということって結構言葉では簡単だけ ど辛いことですからね。それが人間を作っていくことってあるんじゃないかなという気がしますね。僕は。
永井  逃げないということは、例えばこれをやりたいといった時に、最後まで自分で責任を取るという覚悟があるということですよね。
日枝  そういうことですね。格好をつけるとね。あんまり格好をつけるのは僕は好きじゃないので、た だ逃げないというぐらいのぐらいがいいんじゃないかと思います。非常に辛いことだけど、辛いことで逃げたとたんにその人の成長もいかないんじゃないかなと いう気がしますね。たぶん皆さんもだんだん歳をとってくるとそういうことが解ってくるんじゃないかなという気がしますね。
永井  ちょうどたぶん皆さんの世代というのは、中間管理職ではないですけれども狭間の時代だと思う んですね。上司もいれば、ある程度部下も何人か、部下の長であって使って行かなければいけないという時に、自分で全部出来れば最後まで責任は取ろうと思う ものの、部下がやったことまではなあというのが本音だったりすることころがあると思うんですが、何か部下を使う、人を使う時のコツみたいなものというの は?
日枝  コツは特にないんじゃないかな。こういうことを僕は考えたことがございまして、会社の環境が ありますね。その前に親と子の環境ということから言った方が分かりやすいかもしれませんが、親と子って何だろうかというと環境だと僕はいうんですよ。つま り親の環境が良ければ、子供はちゃんと育っていくんじゃないかと、会社というのは、社というのは社長の環境が良ければ社は良くなっていくだろうと、それか ら編成局、報道局、いろりろありますね。局長が良ければ、その局は良くなっていくだろう。部長が良ければ、その部は良くなっていくだろう。部長も局長も役 員も担当部署に対する環境なんですね。そういうふうに自分が思って、自分の環境作りに部長は部長、主任は主任、局長は局長、社長は社長、ですからフジテレ ビが悪ければ、私の環境が悪いんだろうというふうに私は思いますね。
永井  なるほど。実は今日のトークショーの前に秘書の方にいろいろお話を伺ったんですけれども、正 にそういうことをおっしゃっていました。言葉としては一つ具体的なというのは出て来ないんですけれども、とにかくこの社長を、社長に就任された時からずっ と秘書をなさっている方だというふうに伺ってるんですけれども、社長になるべくしてなった方だなというふうにおっしゃってました。
日枝  調子いいこというね。
永井  私も初め「?」と思ったんですけれども、聞けば聞く程、社長がお好きなんですね、あの方は。 というふうに思いました。大好きでしょうがないというふうに、そういうふうにはおっしゃらないですよ、ご本人は。居たらご免なさい。すいません。というの を感じるんですよ。やっぱり。だからついて行こうこの人にと。10年ぐらい秘書をやってるんですね。
日枝  よくも飽きずにね。夫婦でも2,3回別れる人もいますものね。
永井  だって奥様より長い時間を一緒にいらっしゃるわけですものね。
日枝  圧倒的にそうでしょうね。
永井  社長のお話をしている時は楽しくてしょうがないという感じの方なんですよ。ああ、なるほどな。秘書というのは一部夫婦みたいな感覚があるじゃないですか。
日枝  気持ち悪いな。
永井  そういう感じなのだろうなというふうに思いました。やっぱり上司になるというよりは、部下がついて行きたいと思うような人間にならなければいけないというのがあるんですね。
日枝  そんなだいそれたことでもないんですけど、やはり自分も楽しみながら仕事をやってると、周りもみんな楽しみながら仕事をするんじゃないんですか。
永井  でも、そういうふうな自分をいつも見せていなければいけないというのはかなりストイックなものであったり、自分をいつも何かものを言うことというのは容易いと思うんですけれども、自分を律しなければいけないというのは大変なことじゃないですか。
日枝  さっきも申し上げたアメリカのジーンズの大メーカーの大社長が「人は頭だけで仕事をするので はなくて心で仕事をするんだよ」と言っていた言葉というのズキンとくるしね。そういうことをちょっと最近の企業というのは忘れているんじゃないかなという 気がチラッとしますね。やっぱり物が、人が動く、何をするというのはベースはどうもハートにあるんじゃないかなという気がするんですね。そこを忘れている とやっぱりその組織とかそういうのは駄目なんじゃないかなという気が私はしますけどね。
永井  どこかでこの自分のずっと背負い続けた大きな荷物を、よっこらしょと降ろしたいなあと思う時はないんですか。
日枝  毎日そう思うんだけど。
永井  毎日ですか。
日枝  毎日思ってますよ。本当に。これも皆さん嘘だろうと思うかもしれませんが、本当に、本当にそう思います。
永井  そうでしょうね。社長というか、たまに上司の方でも降ろしたり担いだり、降ろしたり担いだりという方いらっしゃいますよね。
日枝  そうですか。会ったけなそういう人に。
永井  それはいいんですが、ちなみにA型でいらっしゃるそうです。10 年社長をしていらっしゃるということなんですが、50歳で、いってみれば、業界No1の視聴率No1の業績No1の社長におなりになったわけですよね。そうですよね。
日枝  はい、そうですね。
永井  その時のお気持ちというのは?
日枝  よくこういうことになると言葉で『晴天の霹靂』ということを言われる人がいるけれども、僕は 本当に『晴天の霹靂』というのはこれになのかなというぐらいにびっくりしましたね。背筋がすーっと冷えてね、本当に震えが来るほど堪らなかったですね。重 荷というか、小渕新総裁が朝、翌日、「重責を_」というふうにおっしゃったけど、あれどころじゃないと思うな僕自身は。
永井  小渕首相より大変、首相ではないですね、まだ。
日枝  僕はそんな感じがしました、僕自身は。
永井  その時の状況というのをそんな詳しくは知らないんですが、本当に突然の人事だったんですよね。
日枝  そうです。全くの突然の人事、突然ですね。
永井  ということは、まだ他にも候補の方でなるべくしてこういうラインには行くだろうなという方もたくさんいらした?
日枝  いや、私は知らない。僕より年上の役員がほとんどですからね。
永井  そうですよね。50歳でらっしゃったんですものね。そういう日枝社長だから伺えることなんですが、社長の資質があるとすれば何だと思われますか。社長にとって必要なもの。
日枝  僕が言うのも結構難しいものがありますね。要するに人間って華ってあるじゃないですか。女性 の場合、永井さん十分華がございますよ。お互いに返しておかないとあとで何を言われるか分からないですから。男でも華というのは、なんとなく人ついていけ る、この人ならやっていけるみたいな、さっきから言ってしつこいようだけど逃げないとか、人の責任にしないとか、というようなものをサラリーマンってみん な見てますから、みんな実施で自分で見てますから、そういうことの積み重ねで行くんじゃないかなと、見てないと思って逃げたり、こすからく障害があるとそ こを避けて行ったりしちゃう、それを真正面から取組んでいきながら、しかもそれを暗くならない、華があるような人間であること、それから男なら色気もあっ てもいいかなという気がしますね。
永井  業界内では、業界一、放送界一、色気のある社長だというふうに。
日枝  うそ、冗談でしょう。
永井  女性アナウンサーと非常に仲がよろしくていらっしゃる。
日枝  もちろん、仲がいいですよ。
永井  何か風の噂によると女性アナウンサーを呼んでの会合が割とあるという話を伺いました。
日枝  それは楽しいです。男よりよっぽど楽しいですよ。
永井  男性アナウンサーからはちっともお呼びがかからないと、私の同期が言ってましたね。男のアナウンサーが。
日枝  そんなことはないですけど、頻度数はやはり圧倒的に高い。だって面白いですよ。それはそうですよ。皆さんそうじゃないかな。男性の方はみんなそうですよ。基本的には。
永井  すごいらしいですね。女性アナウンサーって、フジテレビは華やかな方達が多いのでそういう人達がだーっと並ぶらしいですね。
日枝  結構強いんですよ。酒がみんな、ものすごく強いんですよ。
永井  これが銀座のクラブだったら、
日枝  大変な儲かりようでしょうね。そこのオーナーだったら大変ですよ。
永井  っていう話をよく聞いたんですよ。
日枝  それは本当に。客あしらいがうまいんですよ。結構うまいから、銀座No1になりますよ。たぶん。
永井  いや、もうみんなそれぞれお店が持てると言ってましたね、河野景子ちゃんは。
日枝  持てるでしょうね。本当に。
永井  そういう女性アナウンサーの採用にも社長はやっぱり加わっていらっしゃる。
日枝  当然ですよ。一番楽しい瞬間ですよ。
永井  私も社長面接まで行けば、もしかしたら。
日枝  絶対入ってますね。
永井  有難うございます。それは冗談として、アナウンサーみたないなこう出演者に求めるものというのは何なんですか。
日枝  これは正にあったかさですね。
永井  あったかさ。
日枝  視聴者から観てあったかい、華のある方、女性でも男性でも、これにつきるんじゃないかしら。永井さんが美人じゃないということではなくて、あまり美形は駄目なんですね。
永井  良かった。
日枝  反発が出てしまうんですね。それからものすごい知的レベルが高そうな人は距離があるわけです ね、視聴者と。そういう人は多分あんまり大成しないだろうと思いますね、やはりあったかい華のある方のほうが大成すると僕は思いますね。うちには美人がい ないと、そんなことじゃないですよ。はいと言われたら大変なことになるので、そんなことじゃないんですけれども、美人も多いんですが、あったかい人でしょ うね。
永井  美人はたくさんいらっしゃいますよ。 番組作りでもそのあったかいというのが一つ。
日枝  そうだと思いますよ。
永井  30代の時の話に戻るんですが、放送人を目指しているというお話がここで出たと思うんですが、この放送人を目指しているというのの、この放送人というのはどういうふうに30代の時はお考えになってましたか。
日枝  私は30代は編成にいまして、その時のことを、ちょっと余談になるかもしれませんが、僕は今 ビッグバンで衛星の話をしているわけですが、この衛星というものに僕が最初にきかかったのは20代から30代の時なんですね。それは何故かというと、ケネ ディが暗殺されまして、アメリカから日本に衛星の実験をする最初の日だったんです。それで私も報道で泊まりを担当しておりまして、朝、第一報が入ってき て、フィリップカードって皆さんまだお分かりになっている方も、手書きの画用紙みたいな中で、ケネディ暗殺、えっていうので最初にやったのが私の20代、 私は編成の方に行ってる時です。もう報道から編成の方に行ってる時です。しかし、その劇的な衝撃と、今申し上げている放送ビッグバン、衛星に自分は関わっ ている。それと民間放送の中でもいろいろ言われながら、最初にCSに進出する。こんどBSにも進出する。衛星にかかわり合ったきっかけというのが20代後 半から30代ですね、からこうなっているということを考えると非常に印象深い出来ごとですね。今は衛星なんて全然関係ないし、NHKここのところ観てます と、イギリスからすばらしき田園とかガーデニングとか生中継をばーっとやっている。あんなこと昔は考えられないことが、湾岸戦争でもね、戦争が生中継で行 われる。あれは第一回目はケネディ暗殺が送られてきたところから始まっているわけですね。それが昭和何年かな、44年ですよ。
永井  昭和44年ですか。1969年ですね。
日枝  69年ですね。それからですから、それほど歴史はたってないにもかかわらず、これだけ衛星が 成ったというのは大変印象的ですし、僕が放送人だという、今でも志を持っているというのは、報道に入りたくてテレビ局に入ったみたいなところがありまし て、だから、そのあとっていうのは飛ばされ、飛ばされと言ってしまうんですね。つい、つい。大間違いなんですけど、つまり報道を入りたくてテレビ局に来た ものですから、他へ行くとみんな飛ばされになってしまう、自分にとっては。だけど、それはプラスになってるんですよ。そういうような時代を過ごしたような 気がしますね。放送人というのは僕の原点は報道であり、常にバラエティを作ってる人間に対しても、他の局でも、ニュースでも、ワイドショーでも観ていると イライラしたり、うちのなんてむしろもっとイライラしたりしてストレスがたまっちゃうという。もう少し放送人たれよというのがありますね。一方的な勉強も しないで週刊誌そのままで言ったような発言を平気で言ったりすると、お前もう少し勉強てくれよとここまで出かかるという感じがしますね。みんなそうやって 行けば日本のジャーナリズムというは、テレビジャーナリズムというのは非常に進歩していくだろうなという気が僕はしますけどね。
永井  さっきおっしゃってたそのバランス感覚と謙虚ともう一つはなんでしたっけ。
日枝  平衡感覚
永井  バランス感覚、平衡感覚、謙虚であれというのは正にそうですよね。
日枝  傲慢ですよね。最近は。みんなテレビは傲慢だと。僕は自己反省を含めて
永井  傾向がありますね。自戒の面も含めて。20代に衛星というものに出会って、それからどこかずっと夢のように思いつづけていたことが、今CS、BSの実現ということで、夢が叶うというみたいな感じですね。
日枝  夢が叶うというか不思議な関わり合いですね。自分にとっては幸せなことだと思いますね。たま たま、これもさっき言った、7月に、フジテレビに入った、早稲田に7月の下旬に行ったこともたまたまですしね、たまたま僕が泊まりで第一報を僕がスタジオ で取るという、それから衛星の関わり合いが出てきて、CSにも初めて民間放送の中で飛び出すきっかけを自分で作らせてくれた。どこかでその血が流れている のかもしれませんね。
永井  よくいうと、チャンスに恵まれて続けていた。悪くいうと、たまたま、たまたま、たまたまの人生と。
日枝  たまたま人生と悪運が強いのかもしれませんね。
永井  でも危機をチャンスに変えられる人ということなんでしょう。 このトークショーではいつもお聞きすることなんですけれども、座右の銘というのがあれば伺いたいなと最後に思うのですが。
日枝  座右の銘というのはよく考えてみると、その時、その時で違ってくるんですね
永井  今は?
日枝  今、『tomorrow is anotherday』でしょうね。明日、明日を大事にし て、明日はまた違う風が吹くしね。明日の新たな日が始まるのかなということなのかもしれませんね、本当に座右の銘ってその時その時で変わってきましてね、 その時の環境、辛い時の環境ですと結構きついのが出てきますし、楽しい時はこうでてきますし、格好つけた場合には格好つけたのが、あんまり座右の銘って僕 は好きじゃないというか、あんまり固定がないですね。
永井  時間がまだ少しありますので、皆さんの質問をここでお受したいと思います。
質問者  石渡と申します。初めまして、楽しいお話を有難うございます。最近は僕は結構忙しくてあまり テレビを観る暇がないんですよ。実はケーブルテレビに入ってまして、何か無駄使いをしているような気もするんですが、そういう環境ですと、頼るメディアと いうのが新聞とかに限られてしまったりとかします。BSのデジタルの出資の時の話も割とテレビ局と新聞社のつながりとかそういうものが取り沙汰されている と思うんですが、今後日本テレビは別にしまして、他のテレビ局では新聞社とのつながりというのはどういうふうになっていくとお考えでしょうか。
日枝  それぞれ、僕は情報機関ということからすると離れていかないと思いますよね。ただ、新聞につ いてコメントする立場にはありませんけれども、伝送手段というのがテレビは非常に安いですよね。新聞というのは大変なことだと思います。朝刊、夕刊を定時 に各家庭に届くというこの経費というのは、これが一つ。さっき申し上げた環境破壊、自然破壊のパルプの問題、今までのようにやっていけるかどうか、そうす ると、自然に情報を電波で送っていくことがあるかもしれませんし、それを経由でFAXでとったり、いろんなことがあるかもしれません。新聞の経緯について は私はド素人ですから言えませんが、大きな環境からいくと、自然の経済原則からいうと伝送手段が安いものがかなり、だけど活字に対して今お話のように、活 字というものから絶対に人間は逃れることは出来ないというかはずれることはありませんから、なくなることは絶対にない。従って、テレビ局と新聞社の関係と いうのは相互依存、互換しながらやっていくんじゃないかなという気が私はしてますけれど。
永井  よろしいでしょうか。それについて
質問者  それについてもう一つお伺いしたかったんですけど、各新聞社とそれぞれカラーが何となくあるんですけど、それとテレビ局の関係と、その辺の結び付についてもお聞きしたいと思うんですけれども。
日枝  どうでしょうね。新聞とテレビというのは、テレビは免許事業ですから、両論併記、放送法でい ろいろ決まってますから、この限度というのはあるわけですね。新聞というのは免許事業ではありませんから、主張を大いに出していけるわけですから、その差 というのは自ずから違います。私どもは産経と近い間柄ですから、産経がものを言ってるのと我々が言っているのとある程度限度がある。他のテレビと新聞の関 係もそうだろうと思いますね、私は。
質問者  有難うございます。
永井  質問のある方挙手を。はいどうぞ。
質問者  永坂と申します。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが、テレビが社会に与える影響という問題と、社会的道徳とか理念とか倫理という問題と、あと商売という問題に対してどういうふうにお考えですか。
日枝  非常に大事なご質問だと思いますし、我々が解決していかなければいけない問題だと僕は思って ます。媒体の価値を商売に結び付けているわけですね。いくら視聴率がよくなっても媒体価値を下げるものは必ず自然淘汰されると私は信じています。私もわが 社には結構厳しくものを言いますけれども、やはり数字を取らないと宣伝効果はないわけですから、取る効果はしますけれども、じゃあ裸、今問題になっていま す暴力シーン、そういうものでやっていって最後までそれを観つづけてくれるだろうかというと僕は否なんですね。これからの時代は質を高めて量を取る。つま り、番組の質を高めながら、量を取っていく時代が必ずくるんではないかな。というのは、こういう感じがするんですよ。さっき控室で話してしまったので、大 事な事を今申し上げるのを忘れてしまったんですけれども、これからチップが出来てきて、デジタル革命が21世紀花が咲くと申し上げましたけど、産業と産業 の垣根が狭まると言いましたが、そうるすとコンピュータとね通信とテレビ、放送というのは必ず融合してくると私は思っているんですが、そうすると有名なビ ル・ゲイツがアメリカの4大ネットワークの経営者が喧嘩してるわけですね、何を喧嘩しているかというと、ビル・ゲイツが考えているのは、コンピュータに全 放送を全部入れてしまおうと、帰って来て自分で好きなのを観てしまおうと、つまり編成権は視聴者に与えてしまおうというのが彼の考え、3大ネットワークの 人達はそれに対して反対しているわけですね。僕は時代はある程度そういう時代は来るのであろうと、多分将来21世紀、2010年じゃ来ないかもしれないけ れど、2000年の中ごろ前には一つのブラウン管の中に地上波もBSもCSもインターネットも全部使ってしまうことになるだろうとそれにパソコンがもちろ んついてですね、皆さん昼間お忙しい方、さっきCATVだけ観てあまりテレビ観ないとおっしゃった方もおりましたけれども、我々も観られないわけですが、 収録してしまう、ディスクこんなもので全部入ってしまうと思いますからね、帰って自分でドラマならドラマ、映画なら映画、スポーツならスポーツだけをポン と出すと各局のスポーツニュースも全部観られてしまうという形になってしまう。その時に質とか媒体価値というのはどうなってくるかなということを考える と、自然に今後、今までは確かに新聞からとか、評論家からのご批判を仰ぐような番組も多かったわけですけれども、私は必ずそういうものは淘汰されていくだ ろうというふうに僕は考えています。
質問者  有難うございました。
永井  そのお話の延長線上で、実は私は今テレビを新しく買おうかなと思っているんですが。今のタイ ミングでいくとどうせまた変わってしまうからデジタルにと思っているんですけれども、今移行期だと思うんですね、テレビ業界というのは。この混沌とした時 代は何年ぐらいまでだとお考えですか。
日枝  僕は勝手なことを申し上げて、一民間人の発言としてお聞きいただければいいんですが、要する に、2000年で完全、地上波も含めて大都市はデジタルは間違いなくいくでしょうね。3年まで行き、6年で全都市に行ってしまうでしょう。85%になった ら変えると言ってますけれども、郵政省は、たぶんその辺で、その近くまで僕は行くんじゃないかと、つまり、科学技術、放送通信技術というのはものすごく早 いですから、これが産業を引っ張っていくことになろうと思うんですね。何百億なんですね。ちょっとここにメモを持っていませんが、そうしますと、オールデ ジタルになって僕が次の時代の放送の血潮が出来上がるのは2010年前後に新しい放送血潮が、今大混乱を起こしている放送血潮が確立されるのではないかな という気が私はしています。これを言うと、我々の同業者の中から、この野郎ってぶん殴られる可能性もあるんですが、というような気持ちで対応していったら いいだろうなという気がします。
永井  はい。あと一人ぐらい。最後の一人。女性は今日は割と多いみたいなんですけど、一番うしろの。
質問者
 山崎かなです。こんにちは。精神面についてお聞きしたいんですけれども、何度も逃げないこ とっていうふうにおっしゃってまして、それはとても抽象的で広い意味があると思うんですが、もちろん、それを私も心掛けていて今日この日を迎えているんで すけれども、逃げないことと何度もおっしゃる中にやはり逃げたくなることがあったんじゃないかと思って、私も逃げて戻ってきたこともありますし、逃げなく て頑張ってることもあるんですけれども、それが日枝さんと大きく違うところは軌道修正がとても天才的に早くてうまくて勇気づける力が生み出すことが優れて いると思うんですが、そこをちょっと詳しくお聞きしたいと思って。
日枝  確かに、言葉でさっきも申し上げたかもしれないけれども、逃げないということって、そう簡単 なことじゃないんですね。さっきから申し上げてるように難しいことなんだということを申し上げてる。難しいことだから大事なことなんだということを申し上 げたつもりなんだけれども、私自身でさえ、会社を辞めたいとなんて思ったことは何回もあります。限りなくあります。そこで逃げていたら自分もないわけです よね。その辛さを乗り越えると、こういうことだろうと思うんですね。一つ自分で逃げないでうまく飛び越した時に、一つの事を申し上げますとね、お風呂があ りますね。熱い風呂に入って出たい、出たいと思いますね。しかし我慢する。出たあとって爽やかじゃないですか。ぬるい風呂に入っている全然爽やかじゃない ですよね。だから苦しい時って今熱い風呂に入っているんだと思う。出た時に爽やかだよなという感じ。それから仕事で殺されることはないよなとさっき僕は申 し上げたつもりでいますけれども、だいたいサラリーマンの人って仕事を通じて逃げたくなることが多いので、その時は僕は絶対に約束していいんですが、仕事 で殺されることは僕はないと思います。絶対にないと思います。絶対に仕事で殺されることはない。従って、そのぐらいの気持ちでいますとあんまり逃げなくて 大丈夫だというふうに思いますし、それから、ものすごく優しくて小学生に言うようで恐縮ですけれども、台風ってあるじゃないですか、台風があるとものすご いけれども、台風一家って過ぎ去ってみるとこんなきれいな空があったのかって思うじゃないですか。ああいうことってやっぱり自分でいいきかせないと、結局 ね、その言い聞かせるか言い聞かせないかの差が人の別れ道じゃないかなと気が私はしますけどね。
永井  よろしいでしょうか。最後きれいな女性で良かったですね。
日枝  有難うございます。細かいご配慮を賜りまして。
永井  以前、大蔵大臣になるかもしれないと昨今ニュースに出ていらっしゃる宮沢元総理にお出でいただいた時に、手帳の中にだっとここ数年間の金利が書いてあってびっくりしたことがあったんですけど、今なんかすっとこうメモをポッケからお出しになったそれは何を。
日枝  数字だけは覚えてないといけないと思って書いてきた。
永井  竹村さんのこれだけ手帳みたいなもの。
日枝  これね、参考までに今日言うのを忘れてしまったんですけれど、テレビ業界というのはいかにそ の恵まれていた環境かなと、その環境の中に僕はいたかなと、従ってこれから放送ビッグバンになってもやっぱりひ弱にならないように頑張った方がいいかなと いう中で申し上げるのに持ってきたんですけれども、言うのを忘れてしまったんですが
永井  すごい書き込みだらけの表、なんですか。
日枝  フジテレビが開局した時の営業収益が26億円ですね。今期の収益が3,156億円です。約 120倍ですね。この39年で、それから経常利益が1,500万円、今度の経常利益が272億円、なんと1,800倍。人間が開局の時、480名だったの が、今約3倍の1,480人ぐらい。いかにこの世界というのは、企業というのは恵まれた環境にいたのかなということで、放送ビッグバンとさっきちょっと 19世紀、20世紀、産業革命の時、血も流した人、いろいろいる、石油に変わった、石炭から変わった人もいる。今ここに変わりつつある時に、こんな世迷い 言を言ったってしょうがないと、やっぱり時代というのは変わるんだから、変わる時にやっぱり果敢に攻めて行かなければいけないんじゃないかなということを 申し上げたいなという感じがします。どんな産業もみんなそうだと思いますよ。
永井  来年には40周年を迎えられるということですけれども、ここの今までの40年、40年はあれ でしょうけれども、今までの最近過去10年とこれからの10年というのは、今まで多分テレビ業界が経験したことのないような変革が多分訪れると思うんです けれども、今まで10年やって来られてと、今後の10年というのを一言ずつだけ伺えますか。
日枝  ものすごい変わり方をするでしょうね。多分。さっき申し上げたように39年一つのチャンネル だけをやっていたらいいのが、CS、スカイパーフェクトにもうちは出資して何チャンネルかやっている。BSもやる。インターネットもやりました。パッケー ジ系もやってます。今までの仕事は全然広がってしまう。大それた事を言うと21世紀の情報産業の中核にうちは位置付けたい。ハリウッドになりたい。とこう なってるわけですから、それで人間は増やさないよとこう言ってるわけですから、これはすごい変わり方だろうと僕は思いますね。その頃は僕はもうリタイアし て観てると、当然2020,30年にいたら、こんな爺がいたら、本当にご迷惑ですから、外から観させていただきます。
永井  そうですか。
日枝  それはそうですよ。
永井  2010年ハリウッドになるというその瞬間を見届けてから、ご勇退ということで。
日枝  有難うございます。
永井  今日は本当に長時間に亘りまして有難うございました。
日枝  どうも有難うございました。
Posted in Uncategorized